さてまた、ライプツィヒ造形美術館の展示室逍遥は続くのですけれど、
シュトゥックなどミュンヘンでの画家たちの分離派の活動は新しい波を起こすわけでして、
ドイツ表現主義とその周辺にたくさんの作家が生まれるわけですね。
主にそのあたりが見られる展示室へと踏み込んだのでありました。
並んでいるのはマックス・ベックマンの作品…なのですけれど、
ベックマンは第二次大戦下にはナチスによって退廃芸術とした指弾されたひとりでありまして、
どうやらこの展示室は戦争との関わりを告げてもいるようで。
別の壁面にはやはり退廃芸術家のレッテルを貼られたカール・ホーファー作品とともに、
空襲によって瓦礫と化した旧造形美術館の写真が大写しになっておりましたよ。
ところで、退廃芸術のレッテルを貼られたベックマン、ホーファーそれそれの作品をちとクローズアップしてみますが、
そも退廃芸術と言われる背景はどんなことなのでありましょうかね…。
Wikipediaによれば、このようなことであるようですなあ。
退廃芸術とは、ナチス党が近代美術や前衛芸術を、道徳的・人種的に堕落したもので、ナチス・ドイツの社会や民族感情を害するものである、として禁止するために打ち出した芸術観である。
一般に印象派以降は全てダメ、アカデミスムの系統に重きを置いていたともいえるかもしれませんですが、
要するにナチスの芸術観、つまりはヒトラーを初めてナチ幹部の眼鏡にかなうかどうかであって、
まあ好みに合わないととんでもないとばっちりを受けたということでもありましょう。
これは必ずしもユダヤ人であるか否かだけにとどまらず、美術の世界以外に音楽にもあったことは
ちょいと前に「ヒンデミット事件」のことに触れたとおりでありますが。
だからこそ、(それを退廃芸術というかどうかは別として)見るからに「ああ、これが」というふうに受け止めかねるのは
上のベックマン作品、ホーファー作品を見ても分かるところではないでしょうか。
ところで、この作品はどうご覧になりましょうか。退廃芸術とされたでしょうか、そうではないでしょうか?
ミュンヘン新分離派に属した画家アレクサンデル・カノルトの作品で、作風はマジックリアリズムとも言われますですね。
こういう新奇な方向性はナチが嫌いそうではありますけれど、カノルト自身はナチが政権を掌握する前の1932年に
党員になっているのですよね。
まあ、そういう仲間内ともなればナチに身内びいきがあったのではと思うところながら、
カノルト作品は退廃芸術とされ、展覧会からは排除されてしまうことになるのですなあ。
やはりこの作風、ナチ好みではなかったでありましょう。
比較して音楽の話を持ってきてはしっくりこないかもですが、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは
(カラヤンとは違って)党員でもなく、結構ナチ幹部とのいさかいのようなものがありつつも、
大々的に処罰されるようなことはなかった。とどのつまりは、ナチ幹部の中にも
フルトヴェングラーの紡ぎ出す音楽の信奉者がいた、要するに好き嫌いの問題なのでしょう。
そんな好みの問題で断罪された人たちがたくさん出、多くの作品が葬られることにもなったとは実に無体な話であるなと、
そんなことを考えてしまう展示室なのでありましたよ。




