元はオスマン帝国からヨーロッパにもたらされたというチューリップ。
その球根をめぐってオランダでは投機的取引が行われたとは聞いたことのある話ですなあ。
なんでも単色に白い縞模様が入った球根でも手に入れようものなら、ひと身代築けたようでもあったとか。
もちろん投機的な市場には全財産を一瞬にして失う人たちの姿も多く見られたわけですが、
そんな狂乱の17世紀オランダ、アムステルダムを舞台にした映画が「チューリップ・フィーバー」なのでありました。
物語の中では確かにチューリップの投機市場に翻弄される人物たちが登場するのですけれど、
タイトルからするとそれがメインと思うところながら、その実、この映画はれ違いの恋愛悲劇なのですね。
それは日本語タイトルにつけられた「肖像画に秘めた愛」との副題によって表されるところでありましょう。
肖像画に秘めた愛を封じ込めるということで、 主役のひとりは画家という設定ですが、
この画家にフェルメールをイメージするのは その絵をご存知の方なら誰しもではなかろうかと。
もっともフェルメール自身はなるほどチューリップ・バブルの時代のオランダを生きた人ながら、
基本的にデルフトで生涯を送りましたから、映画の登場人物のようにアムステルダムの場末に
生きたわけではありませんし、人妻に横恋慕したといったこともなかったような。
何しろ妻のカタリナとの間には15人もの子供(うち4人は夭折したとか)があり…と、
それだけ夫婦仲を分かった気になってはいけないのかもしれませんが、
妻の実家が裕福であったが故にフェルメールの絵を特徴づける絵具の原料、
とても高価なラピスラズリを惜しげもなく市民階層を描くのに使えたのですから、
およそ夫婦仲に波風立てるようなことはできなかったものと思うわけでして。
とまあ、そうした現実とかけ離れてはいるものの、それでもフェルメールを思い浮かべるのは
映画の中での女性の写し方でありましょう。ああ、フェルメールの絵の中のようだ…と。
これは何も映画の中で絵のモデルを務めている姿から「真珠の耳飾りの少女」を思うばかりでなく、
下働きの女中が台所で立ち働く、その一瞬に「牛乳を注ぐ女」を思い出したり、
はたまた窓辺に佇み、差し込む光の下で手紙を読むなどとい姿を見れば、「おお!」と思うわけなのでありますよ。
全体的にがちゃがちゃごちゃごちゃして、薄汚れた感のあるアムステルダムを背景にしながら、
折りにふれてこうした女性の姿が映し出されるとき、色彩としても妙に綺麗な煌びやかさが見て取れる。
断片的にもせよ、このようなあたりが確実にフェルメールを思わせるところでありましょう。
ということで、この映画、ストーリーにはいささか「うむむ」と思うわけですが、
折々の女性の姿にフェルメール作品のスライドショーを見るような感じを楽しむことこそよかれかと。
一方、話の本筋ではありませんが、チューリップに限らず投機に逸る気持ちというのは
どうした心持ちであろうかと思いますですねえ。
根っこのところでは、ちょいと前に触れたジグソーパズルのように、
もう1ピース、もう1ピースと逸る気持ちとも近いものがあるような気も。
ともするとヒトにはそもそもそういうところがあるが故に、
本来は落ち着いて、煽り煽られるようなことなく取引なりをすれば問題にもならないところを
悪意を持って人間心理の隙をつくような企みをする者がいるから、ややこしくなるのかも。
もっともその企みをする側も当然にしてヒトなのですけれど。
チューリップ・フィーバー、チューリップ・バブルが起こったのは17世紀ということですが、
熱に浮かされたようにのめりこむヒトのありようは今も昔もなのでしょう。
かろうじてヒトには自制心もあるわけで、とこれを現状に引き比べるのは適当でないかもながら、
今の状況は誰にとっても、もう少しの自制が必要とされているのかもしれませんですね。