ちょいと前の新潟日報で見かけたのですけれど、ジグソーパズルの需要が高まっているそうな。
新潟市内の販売店では「5月のパズルの売り上げが昨年比300%と、大幅に伸びた」というのですね。
さもありなむとも思いますですね、行動が制限され、その分娯楽が減ったわけで、
自宅でじっくり取り組めるあたりに目が向けられたということでもありましょう。
ところでかような記事に目をとめたのも、かつて相当にジグソーパズルに入れ込んだ時期があったものですから。
もう30年ほども前になりますかね、生涯で(といってまだ終わってませんが)最も仕事が忙しい頃、
夜中に帰って翌朝も早く出勤するというときに束の間の没頭をパズルに求めたものでありました。
やり始めると「もう少し、もう少し」と思ってしまい、疲れてもいるものですから、
ほとんど寝落ち寸前、気を失いそうになりながらやっていた記憶がありますですよ。
まあ、若かったんですねえ。
そういえば、その頃に苦心惨憺、身悶えしつつ?膨大な時間を費やして作ったパズルが、
どうにも捨てられないままどこかしらにあったなと探してみたところ、出てまいりましたですよ。
これ、このとおり。
絵柄はお馴染みのマッターホルンですけれど、これ、大きいんですよ。確か5000ピースだったかな。
広々とした青空の部分がピースの形以外にいささかの拠り所も無くて、しんどかったなあと。
それだけに「できたぁ~!!」というときのうれしさは一入なんですけれどね。
と、そんな苦闘を強いられたマッターホルン、あたかも登頂を果たしたような気分になったですが、
今もパズルに挑んでいる方々も、ベートーヴェンではありませんが苦悩の先にある歓喜を
目指しているのでありましょうね、きっと。
同じ新潟日報の記事の中では、全面真っ黒、絵柄無しというジグソーパズルが売られていると紹介されて、
自ら苦悩を求める人?が買っていくようですけれど、大きな苦悩を通り抜けたときの歓喜がたまらんと、
そんなところかもしれません。
ただ、もしかするとヒトは本来的に怠惰なのかもしれませんけれど、
そこのところに「欲」というものをぶら下げられて動き出すてなようにもなっているのかも。
「欲」というと必ずしもいい方向にばかり捉えられませんですが、「意欲」といえば印象も違うような。
自らもよく「足るを知る」てなことを言って、どちらかといえば「欲」を抑制する方へと向かいがちですが、
「意欲」、つまりは意志を持って欲することまで削ぎ落してしまいますと、後は怠惰の底に沈んでしまうかも。
ましてや未だ予断を許さぬ不穏さの残る状況ですから、
手放しでかつてのように出歩くわけにはいかない(と、個人的には思っている)わけでして、
そんな中でも「意欲」を持って何かに向きあう、立ち向かうということは
気持ちとして大切なことかもしれませんですね。
ま、この夏は遠出ができないとなれば、冷房の効いた室内で
大きなジグソーパズルにでも取り組みますかね…って、その程度の意欲の話でもないんですが(笑)。