先日訪ねた府中市美術館の展示からもうひとつのお話、不同舎のスケッチのことと予告しておきましたが、
はて「不同舎とは?」ということから始めることに。
ちょいと前、立川に新しくオープンした「たましん美術館」の展示でもって
明治の洋画黎明期のようすをたどってみたりしましたけれど、
まずもって日本の洋画壇には明治美術会なる団体が誕生したことに触れました。
写実に重きを置いて、フランスの最新潮流よりもアカデミスム絵画を志向したことで知られておりまして、
明治美術館の中心人物のひとりであった小山正太郎が美術会結成に先駆けて、
不同舎という画塾を設けていたのですなあ。
弟子であった鹿子木孟郎は渡仏した際、歴史画で知られるジャン・ポール=ローランスに師事するのですから、
小山による不同舎での教えにも忠実に、伝統的な写実を目指すことにしたのでありましょう。
何しろ講演に立った小山の言うところを留めた記録によりますと
「ダヴィッドとアングルをもって19世紀フランス画家中、最偉大とする」と言い、
マネやモネらの芸術を認めようとはしなかったそうでありますから。
とまあ、かような画塾・不同舎では素描に力をいれて、折々弟子たちと連れ立って写生旅行に出たそうな。
旅行と言ってももっぱら今の都内とその近辺で、多摩のあたりにも足を伸ばして素描や水彩を残したことから
府中市美術館で作品が見られるという次第なのでありましょう。
ミュージアムショップで見つけた「百年前の武蔵野・東京 不同舎画家たちのスケッチを中心に」というブックレット、
これの図版を見ながら展示を振り返っているわけですけれど、この素描が実に雄弁なのですなあ。
単に精巧に描かれているというばかりでない、十分に鑑賞に堪える作品に仕上がっているように思うところです。
デッサンというと、要するに下絵であり、ともすると部分的な習作でありといったふうに思ってしまいますが、
どうしてどうして、美術館でなくとも額に入れて飾りたいという気になるものではなかろうかと。
ブックレットの表紙に小さく見えている2点はいずれも鹿子木孟郎の手になるもので、
いく人かの不同舎門弟の素描が並び展示される中で、数からいっても一番多い鹿子木の残したものは、
繊細な中にも線の力強さがあり、また画面からは情趣も立ち上るのですなあ。
これは何も、現在多摩に住まっていても元より郷里ではありませんので、
そうした意味で懐かしがるといった思い入れは無いのですけれど、
どこかしら昭和になっても場所によっては残っていた雰囲気が感じられるという、
ある種の普遍性のある画面であることには惹かれたとは思いますけれど、
それよりも何よりも画力なのでしょうねえ。
これまで素描というものをいささか舐めてかかっていたかもしれんと思い返すことしきり。
絵を描くことの入り口とされる素描がかかるものであるとなれば、
老後には絵を描くこともやってみるか的な余技でできるものではないのだなと
今さらながらに気付かされることになったのでありました。