5月25日に緊急事態宣言が解除されたものの、6月2日には「東京アラート」とやら出されて、

結局のところ宣言が解除されたから「もう大丈夫」と思ってしまったり、

だからといってアラートでレインボーブリッジが赤く灯されたから「またダメか…」と思ってしまったりと

上の方から降ってくるああだこうだよりも、気を付けることは気を付けて、それぞれが考えるしかないのでしょう。

 

その個人差の度合いが悲観に振れれば息苦しくなりますし、

楽観に触れれば第二波襲来ということになるかもしれませんが、それも致し方なしのような。

ただ、6月に入ってからの通勤電車はそれ以前よりも断然にリスキーな状況になるなとは思ってますけれど。

 

というような前置きはともかくとして、とにかく宣言解除を受けて美術館・博物館が開館し始めましたですな。

すわっ!と思うものの、先に申しましたような個人的アラート感覚に従いますと、

全てが収まったかのように動くことをリスクはぬぐえない気がしておりますので、

とりあえずのところ、自転車で出かけられる美術館に出かけてみたのでありますよ。

 

 

本来は5月18日に新規オープンとされていたものが、件の騒ぎで先送りされ、

6月に入ってようやっと開館の運びとなった東京・立川の「たましん美術館」。

国立駅前にある「たましん歴史・美術館」と同じ多摩信用金庫(たましん)のコレクション展示施設で、

「開館記念展Ⅰたまびらき―たましんの日本近代美術コレクション―」という展覧会が開催中でありました。

 

地味な収蔵品展…といっては失礼ながら、だからこそソーシャルディスタンスなんぞに煩わされることなく

気ままに作品を見て回れる。久しぶりに味わったひとときでありましたよ。

 

館内は広くはなく、展示点数もそれなりですが、明治日本の洋画の世界を

解説とともにさらっと通観するのはそれはそれで楽しめるものでしたなあ。

 

洋画の技法や画材を使って描くことは江戸期にも先駆的に試みる人たちはいたわけですが、

明治になってさまざまな洋モノが入り込む中、西洋風の絵画である洋画もまたでありますね。

 

1876年(明治9年)に工部美術学校が設けられ、西洋絵画伝授のためにアントニオ・フォンタネージが招かれる。

されど、それまでの日本美術が顧みられなくなると考えた人たちから洋画の排斥運動が起こるのですな。

その煽りであるのか、工部美術学校は1883年に廃校になってしまう。

 

その後、1889年に東京美術学校が開設されるも西洋美術は蚊帳の外、

フォンタネージの弟子をはじめ洋画を志す人たちはこれに対抗して「明治美術会」を立ち上げるという。

その中心人物であったのが浅井忠で、「バルビゾン派の流れを日本で開花された画家」と目されるように、

同時代のフランス画壇のことからすれば、どちらかというとアカデミスム寄りであったようで。

 

この「明治美術会」にだんだんとフランス留学から帰ってきた帰国組が加わりますが、

流行りの印象派などを目にしてきた者たちにはアカデミスム風は合わないわけでして、

黒田清輝らがたもとを分かつて1896年に「白馬会」を結成するのでありますよ。

「明治美術会」の方も解散・再集結として1901年には「太平洋画会」の結成となるのですが、

こちらの中心人物のひとり、鹿子木孟郎はパリでアカデミスム派といっていいジャン=ポール・ローランスに教わり、

一方「白馬会」の黒田清輝は印象派にも近しいラファエル・コランに指導を受けたのですから、

両者の違いは所を変えたフランス画壇の勢力争いのようでもあったでしょうかね。

 

もっとも、当時「新派」とも言われた「白馬会」側が人気を得て大勢に影響を与える存在になりますと、

こちらの方がむしろ日本のアカデミスム(日本洋画の伝統)のように目されて、

「文展(文部省美術展覧会)」でもそちら寄りの作品ばかりが評価されるようになって、

この審査に不満を持つ者たちが、作品評価を新旧の二科に分けて行うよう求めたのであるとか。

この段階で黒田清輝側は「旧」の部類と見られるようになったていたのですなあ。

 

結局のところ審査を分けろという主張は入れられず、主張した側は「二科会」を立ち上げ、

独自の展覧会「二科展」を始めることになるという。

あたかもパリの落選展、アンデパンダン展の開催を見るような気がするではありませんか。

 

…というような、明治期洋画界の変転に絡めて作品を見ていったわけですが、

白馬会の岡田三郎助(女性像ではなくして風景画)や太平洋画会の満谷国四郎、

はたまた二科会の梅原龍三郎、安井曾太郎、山下新太郎らの作品を順に見て、

その作風にはフランス留学で何を得たかの順列組み合わせの違いはあるも、

逆に言えば共通点さえありそうな気がしてしったりもするのでありました。

 

かような流れの外にいて、独立独歩の画家もいたと紹介された中に

岡鹿之助、藤田嗣治、熊谷守一らの作品が置かれてあったのには「なるほどなあ」と。

一派をなすのとは異なる個性が見られたように思ったものですから。

 

さてはて、お楽しみの尽きない美術館詣で。

果たしてこの後はもっともっと出かけられるようになるのか、はたまた自粛再びとなるのか。

こどもが成長するにしたがってその世界を少しずつ広げていくような、

そんなつもりでおれば、ぐおっと遠出のできる日がより早く到来するのでは…と思っておりますですよ。