先に訪ねたトーマス教会はかつて市壁であったろうリングという通りに面しており、

いわば旧市街の西の端に位置するわけですが、その反対側、東の端にはアウグストゥス広場という、

マルクト広場よりもかなり広場があるのですな。

 

広場の真ん中をトラムが横切ってはいるものの、南北に長いこの広場、

北のはずれにはライプツィヒ歌劇場、南のはずれにはコンサートホールとして有名なゲヴァントハウスがあるという。

 

 

 

そんな具合ですのでかえってマルクト広場よりもひとも交通も往来著しいわけですが、

そんな広場の一角にこのような建物を見ることができるのでありますよ。

 

 

モダンでありながら、なぜかしら教会のようでもありますね。

それもそのはず、もとよりここには教会があったわけでして、1240年にできたというパウリナー教会であると。

元来ドミニコ会修道院の附属教会だったのですが、1409年創立のライプツィヒ大学と関係を深めていき、

宗教改革を経て修道院が世俗化されますと、教会はライプツィヒ大学に移管されたのが1543年。

2年後には、マルティン・ルターによって福音主義の大学教会として奉献されたということです。

以来、この教会は礼拝に使われるのはもとより、大学の講堂としての役割も果たしてきたそうでありますよ。

 

 

そんな教会の、かつての全体像は現在の教会前に模型で飾られておりますけれど、

この教会がその姿を大きく変えることになる事の始まりは、第二次大戦直後からということに。

 

教会の面しているアウグストゥス広場はカールマルクス広場と名前が替えられたというだけで想像されるとおり、

ライプツィヒはソ連占領下におかれて東ドイツの都市となっていったのでして、

そんな中、社会主義化と都市再計画との関係から、パウリナー教会は解体されることになっていったのですなあ。

 

もちろん反対運動は起こりましたけれど、国家ありきの体制の中では徹底弾圧されて、

ついに1968年5月30日の午前9時58分、パウリナー教会は爆破解体されたのでありました。

 

やがて民主化への激動を経て、2017年にようやっとパウリナー教会は甦ります。

かつてのとおり、用途としては大学のホールと礼拝堂を兼ねた複合施設ということで。

爆破されたのが1968年とあっては今の建物に往時の姿を重ねて眺める人もだんだん少なくなってきて、

モダンさだけが際立つ存在と受け止められていくのでしょうか。

 

と、そんな教会を持つライプツィヒ大学ですけれど、パウリナー教会のお隣にはCity-Hochhaus Leipzigという、

名前のとおりに高い(hoch)建物が空を指しておるのですなあ。ライプツィヒではいちばん高い建物だとか。

 

 

地上142.0メートル、34 階建てのこの高層ビルもまた大学の建物として使われていたのだとか。

ですが、東西統一後、つまりは資本主義化してから、ビルの諸掛りが大学では負担できなかったようで手放され、

今では最上部に「MDR」の文字が見えるのですが、中部ドイツ放送協会が使っているのであるとか。

 

MDRはかつてライプツィヒ放送交響楽団(N響みたいなものですね)として知られたオーケストラを持っていますから、

コンサートホールであるゲヴァントハウスがすぐ近くという立地は公演収録にも便利でしょうなあ。

 

ところで、かようにさまざまな建物を持っていたライプツィヒ大学、

町中でふと気づけばこんなところにもまたキャンパスがあるようで。

 

 

ヨーロッパの大学ははっきり区画された囲いの中というよりも、町の中に溶け込んでいる感がありますよね。

そんなことを思いつつまた町歩きに向かうのでありました。