横須賀のヴェルニー公園を訪ねて園内の石碑を見て回りますと、
話はすっかり戦艦や戦争の方面へと向かってしまいますけれど、
ちと気を取り直して、公園の端にありますヴェルニー記念館を覗くことに。
館内はさほど広くはありませんで、久里浜のペリー記念館同様に無料施設らしいところではあろうかと。
ヴェルニーのこと、横須賀製鉄所のことなどを紹介する展示解説の中で、
もっとも存在感ある展示物がこちらのスチームハンマーでありましょう。
鍛冶屋さんといえば鉄を鍛えるのにトンカントンカンと槌をふるっている姿を思い浮かべますが、
そのトンカンを自動で、かつ3トンという強力な力で代わりにやってくれる機械ということでして、
すこし小ぶりの0.5トンハンマーともども、オランダからの輸入品だそうで。ロッテルダムという文字も見えます。
スチームハンマーというその名のとおり、蒸気機関で動く巨大金槌というわけですけれど、
それまで人力頼みであった力仕事をこのような機械が大きな力を発揮してやってくれるとは、
なるほど文明開化を感じさせるところであったのでしょうなあ。
ヴェルニーに指導された横須賀製鉄所は近代日本の先駆けとして、
展示解説に曰く「富岡製糸場、生野鉱山、皇居造営、銀座煉瓦街の建設などの
明治時代のビッグプロジェクトを支え」ることになっていったのだそうでありますよ。
さりながら、その技術は別の方面にも活かされたのですよね…。
大正10年(1921年)に竣工した戦艦陸奥は横須賀海軍工廠(製鉄所のその後ですね)で建造されたのでして、
当時は世界でも稀な40㎝砲を主砲に搭載して、日本の大鑑巨砲信奉の対象でもあったことでしょう。
同じく40㎝砲を積んだ戦艦長門ともに、「この大砲が睨みをきかせていれば日本は大丈夫」といったふうに
考えられてもいたようで。
建物の外には陸奥に搭載されていたという主砲の実物が展示されておりました。
なぜ現物が…と思うところですけれど、陸奥は昭和18年(1943年)、連合艦隊の停泊地であった柱島に停泊中、
謎の爆発事故を起こして沈没してしまうのでして、これは後に引き揚げられたものなのでありました。
果たして、今、この大きな展示物を見て何を思うでありましょうか。
「歴史は繰り返す」という言葉がありますけれど、これはヒトが過去にあったことを繰り返してしまっているだけであって、
何もせずにいて「歴史が」繰り返しているわけではありませんよね。
ですから、「ヒトが」同じ過ちを繰り返さないようにしていかなくてはならないわけで、
かような展示物はそうした思いを新たにするきっかけになると思うものの、
いざ周囲を見回してみて現実の横須賀港を眺めると、ちと印象が変わってしまう、
あるいは景観を先に見ているとそもそも違った思いを抱いてしまうことにもなりはしないかと…。
おっと、またヴェルニー公園での話の繰り返しになりそうになってきましたので、とりあえずはこのへんで。
川崎から海ほたる経由で房総半島をざっくりひと巡り、東京湾フェリーで久里浜に戻り、横須賀に立ち寄ったという
「房総半島紀行(と、ついでの三浦半島紀行)」はこれにて全巻の読み終わりということに。ではでは。