緊急事態宣言ですか…。
まあ、改まって言うものなんですが、ほとんど世の中で現実的に起こっていることなどとは
およそ関わりないことを書き続けておるなあと。
ただ、世の中をかまびすしくしている辺のこと(内容の真偽、良し悪し、賛同できるできないは別として)は
黙っていても書かれる方がたくさんおられましょうから、敢えて参入する必要ないわけで。
されど、「この状況下で、なにをしらっと?!」と受け止められたりもと思わなくもありませんですが、
それを気に掛けるほどに読み手は多くありませんし、なによりもネットを開くとどこもかしこも
新型コロナの話ばかりと金太郎飴のようでは、気持ちは沈む一方わけで。
ということで、相変わらずの思い付き話などを。
ご存知に方はとうにご存知とは思いますが、最近気付いたことでありまして。
「西川」という商号を見かけたときに思い浮かべるのは、「ああ、(東京)日本橋にある寝具店ね」ということだったり、
「ああ、ムアツふとんを出しているところね」ということだったりするのではなかろうかと。
ですが、日本橋のたもとに近いところに店舗を構える「西川」と、
ムアツふとんを売り出している「西川」が別の会社だったと、つい最近知ったのでありますよ。
後者は正しくは「昭和西川」というようでありますね。
例えば、日清製粉と日清食品が全く別の会社であることは前にもふれたことがあるように思いますが、
同じ食品事業でもいささか土俵が違うところがあって「ああ、そうか」と思わないでもない。
ところが、「西川」の場合にはいずれも寝具を販売しているというのが紛らわしいですなあ。
されど、別の会社とはいうものの、いずれも永禄九年(1566年)を創業年として
近江八幡の西川甚五郎商店をルーツにおいていることでは同じなのですよね。
蚊帳などを作って売るところからやがて寝具にも商売を広げていったようでありまして。
時代は移って江戸に幕府が開かれますと、日本橋が商業の中心地として大いに賑わうこととなり、
日本橋には今の三越である越後屋呉服店や和紙の小津商店など松阪商人が店を構えたの同様に、
近江商人もまた日本橋に出店したようで、だから今も日本橋のたもとに「西川」があるですなあ。
ちなみに日本橋西川のお隣は今、「COREDO日本橋」というビルになっていますけれど、
かつてここは東急百貨店日本橋店だったのでして、日本橋には三越、高島屋とそれぞれ少々距離を隔てて
3つの百貨店が鼎立していたのでありますよ。
そんな中にあって電鉄系の百貨店は後発とのイメージもあるわけながら、
その実、東急日本橋店の前身は1966年までは白木屋という百貨店であって、
年齢の高い人からは東急になっても白木屋と呼ぶ人がいたりしたものです。
で、この白木屋の創業者・大村彦太郎がまた近江長浜の出身者であったのですなあ。
最初は京都で材木商を営み、やがて木綿や小間物も商い、江戸へ出店してやがて呉服商として知られるようになる。
越後屋(三越)、大丸、そして白木屋といえば、江戸の三大呉服店と言われていたそうで。
とまあ、木綿をも扱った白木屋のお隣にやはり近江商人のふとんの西川があるというのも、
何かしら関係があるように思われるところながら、話を西川に戻しますと、
日本橋に店舗を構える「西川」とは別の「昭和西川」ですが、
こちらは元来、「西川」の製造部門として設立された昭和寝具工業株式会社であるそうな。
ですので、淵源としては永禄九年創業というのは分からなくもないですが、
いわゆる「西川」とは距離をおいた独自路線で(といっても、寝具メインですが)現在に至っている。
概して(あくまでネットでちらほら見ただけですけれど)商品のクオリティーとしては
元が製造部門であっただけにどうも「昭和西川」の方に分があるような記述が見られましたが、どうでしょう。
寝具ばかりは寝心地を試してみないと分かりませんし、個人差も大きいでしょうし。
昔のCMで三船敏郎が「ん~、寝てみたい」なんつうのがありましたけれど、
見た目でそう思わせるものがいいとも限りませんものね…と、これは丸八真綿のCMでしたっけ(笑)。