ちょいと前に群馬・高崎の美術館をはしごして来たのですけれど、
そのときのお話は、会期がまだしばらくあるので図録に目を通してからじっくり書こうかな…と思っておりましたら、
折からの新型コロナウイルスの関係でもって会期途中で閉幕してしまっておりました…。
つうことでこれまた後出しになってしまった展覧会のお話にはなりますが、
どうやら東京には巡回しない展覧会らしいということで群馬県立近代美術館まで足を運んだというところから
始めてまいることにいたします。
この美術館に、前に一度出かけたときには高崎の手前、倉賀野駅で貸し自転車を借り、
観音塚古墳ともども群馬県立歴史博物館、群馬県立近代美術館と回ったですが、
今回は高崎駅からバスで直接にアプローチ。30分くらい乗車するんで、不便なとこです。
とまれ、そのとき開催されておりました展覧会は
「西洋近代美術にみる 神話の世界 -生き続ける古典古代-」という企画展、
なんとなあく、そそられましょう?
フランスに印象派が登場した19世紀、アカデミスムの世界では作品の題材には序列があって、
神話や聖書からテーマをとったものが最も格が高いとされておりましたですね。
これには長い長い伝統があってその結果としてそうなっているのであるか…と思っていたですが、
どうやら理由はそればかりではないようで。
何がと言って古代遺跡の発掘などのが進んだことと関わりがあるというふうには
結び付けて考えてみたこともありませんでした。
古代遺跡の発掘は16世紀頃から始まっていたようですけれど、最初はもっぱらローマ時代のものであったのが
18~19世紀に本格化するとエトルリアやギリシアの遺跡の発掘も盛んに行われるようになったそうなのですね。
これを通じて古代文化が見直されることとなり、古代への憧憬も生まれたようでありますね。
廃墟も含めてローマの建築物を版画に描き出したピラネージなどは先駆けとして、
大いに古代への憧れを煽り立てることになったようでありますよ。
ピラネージが1756年に出した版画集「ローマの古代遺跡」は、見たとおりを描き出したようでいて、
フィクションを加味してファンタジックに描きだしたものであったということですから。
英国の有閑階級のお坊ちゃんがしきりに行ったグランドツアーも古代世界への憧れが誘因のひとつでもあって、
そこから戻った人たちがピラネージの版画なども含め、持ち帰った情報やら口コミやらが
ブームをさらに大きくしたこともあったでしょう。
これが美術の世界にも持ち込まれるわけで、ヴィクトリア朝の絵画、例えばフレデリック・レイトンやアルマ=タデマの作品、
引いてはラファエル前派の作品などには濃厚なる神話「的」世界が広がっていますですねえ。
ちなみに本展フライヤー(上の画像)にはレイトンの「月桂冠を編む」が使われていますけれど、
フライヤーを見た段階では「なぜこの絵を大々的に?」と思っておりましたところ、
本物を目の前にしたときには「これは?!」と思い直したものなのでありました。
注目点は表情の描き出し方でして、まるでピントのボケた写真でもあるかのようにわざわざ茫洋としたふうに描かれている。
それが絵を眺める地点によっては(描線というテクニカルな部分でのシャープとは別の)作品世界のシャープさとなって現前する、
出くわした者を鷲掴みにしてしまうものがあるのでありますよ。こうした印象は(ちと話が大げさかもですが)
デン・ハーグのマウリッツハウス美術館でフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を見たときの印象に近いものであったなあと。
ところで、古代への憧憬はフランスではローマ賞の創設なども関わりあるところでありましょう。
ですから、後につながるアカデミスムの序列付けもその頃からでありましょうか。
絵画の世界では新古典主義として現れたことが、アングルやブーグローの作品を通じて紹介されておりましたよ。
印象派の画家たちは、こうした潮流とは立場を別にしているのだろうと思うところながら、
例えばルノワールがたくさん描いた浴婦も、実はヴィーナスやニンフの姿に重ね合わせて描かれていて、
伝統的な型である「ウェヌス・プディカ(Venus Pudica)」(恥じらいのヴィーナス)とか、
横たわるヴィーナスのポーズなどを引用しているとは、これまであまり意識することがありませんでした。
さらに後、ジョルジョ・デ・キリコやデルヴォーなどにも古代世界、神話世界がモティーフとして現れることは
言うずもがなのことでありましょうから、表現の仕方は大いに変化していっているものの、
その影響は連綿と受け継がれているという。そんなことを思い知る展覧会なのでありましたよ。