年末に横浜へ行った折、神奈川近代文学館に立ち寄りましたので少々そのお話を。

企画展は2019年が没後50年となる作家・獅子文六を回顧するものでありました。

 

没後50年 獅子文六展@神奈川県立近代文学館

 

元来、獅子文六の作品はいずこの公共図書館にも蔵書がありながら、

いったい誰が借りるのだろう…てなふうに思ってしまっていたのでありますよ。

 

なにせペンネームが「四四十六(ししじゅうろく)」のもじりであるとか、

はたまた「文士(文四)」や「文豪(文五)」よりも「文六」は偉かろうてな含みであるとか、

いかにもユーモア小説の作家らしいところであるなあとも。

ついつい軽く見てしまっていたわけですね、作品も読んだことがない段階からして。

 

ですが、以前、なにかの拍子にその獅子文六の「箱根山」という小説を手に取ってみると、これが面白い。

近代的な観光開発黎明期の景勝地・箱根を巡って

西武の堤康次郎と小田急(東急)の五島慶太が勢力争いを始め、

そこへ藤田観光が火に油を注ぐといった展開は面白くならないはずもないわけでして。

 

そんなわけで個人的印象が一新され(といって、その後に別作品を読んではいないのですが)

今回の企画展にも目が向いたという次第ですけれど、この人、大金持ちのぼんぼんだったのですなあ。

 

父親が横浜でシルクを扱い大儲けした実業家であって、子供のころは何不自由なく(わがままきままに)

育ったのだそうでありますよ。それだけに学生時代は高等遊民状態だったような。

父親が早くに亡くなってしまったということながら遺産はたいへんな額だったようで、

その遺産でもってパリ遊学へと出かけていくのですものねえ。

 

本人的には「何をやったものやら…」という思いのまま出かけたところながら、

そのパリで芝居、バレエ、オペラなどなど舞台芸術とのめぐり逢いに目を開かれたそうでありますよ。

ですので、帰国後の岩田豊雄(獅子の本名)はもっぱら演劇人であったということで。

 

1926年(昭和元年)に初めて刊行した著作が「現代の舞台装置」というもの。

1937年(昭和12年)に文学座が旗揚げされるときには、岸田國士、久保田万太郎とともに

発起人に名を連ねたということで(岸田と久保田の名は知っていたのですけれど…)。

演劇人といって役者ではなく、もっぱら作演出の側だったのでしょう。

 

そんな芝居に関わる仕事をする中で、

かつて高等遊民の時代にはなんとなあく文学を志してみようか的なところであったものが

数々の舞台芸術に接する中で熟成するものがあったのか、作家としてもスタートを切る。

ま、芝居絡みの仕事だけではなかなか食えないという事情もあったにせよです。

 

とまれ、新聞連載で脚光を浴び、小説は映画化されるなどして人気が高まっていきますが、

活躍はほぼ1960年代まで、没年は1969年ですし、その後は急速に忘れられていったような。

それが先に触れた個人的印象とかみ合っている気がしたものです。

 

さりながら、近年とみに獅子文六人気が再燃しつつあるのだとか。

もちろん仕掛け人がいるわけでして、筑摩書房の作戦でもあろうかと。

「獅子文六がこのイメージ?」という装丁をほどこしたちくま文庫版で続々と獅子作品を出していると。

今回の展示を見てそんなトレンドがあろうとは初めて知りました。

 

ということで、改めてその人となりに触れた獅子文六。

あいにくとその作品は「箱根山」ひとつきりしか読んでおりませんので、

折を見て何かしら(ちくま文庫であるかどうかは別として)読んでみようかいねと思っておりますよ。