さくっと回ったイエナの町歩き 、
しめくくりは裏路地の奥にひっそりと佇んでいたガーデンハウスでして、
今ではフリードリヒ・シラー大学イエナと、大学名にその名を残すくらいに関わりの深いシラーが
住まっていたところということでありますよ。
ちなみにゲーテがのちに親交を深めるシラーと出会ったのもイエナの町で、
シラーがイエナ大学で歴史学を講じている、そんな時期であったそうな。
(それ以前にシラーがワイマールを訪ねた頃には、ゲーテはイタリア逃避?の最中であったようで)
さりながら、この二人の出会いの場がこの町で開催された植物学の学会であったとは、
ゲーテはともかく、シラーも多方面に興味があったということになりましょうか、
詩人同士の出会いの場としては不思議な気もするところですけれど。
とまれ、シラー通りという広い道からシラー小路なる細い道に入って進みますと、
そうと知られなけば通り過ぎてしまいそうな何気ない入り口があるのですよね。
一歩足を踏み入れるとそこには広からず狭からず、ほどよい広さの庭になっておりまして、
「ああ、シラーが住まったのはあの奥の建物か…」と思ったのですよね。
そそくさと奥へと向かってしげしげ眺めておりますと、
そばのベンチに腰掛けていたご老人が「あっちの家は見たかね?」と。
そして「庭もきれいじゃろう」と言うあたり、この庭園は無料開放状態ですので、
きっとあのご老人にとっての憩いの場所なのでしょうなあ、あそこのベンチは。
ところで、ご老人が「あっちの家」と言ったのは上の写真で左手前に見えているもの。
果たしてこちらがシラーが住まったというガーデンハウスなのでありました。
まあ、ワイマールで見たシラーハウス の趣きからすると、
煉瓦造りの大きな建物よりはこちらの方が馴染む気はしますですね。
ちなみに奥に見えた建物はイエナの天文台であるそうな。
裏側からは観測ドームが見えましたけれど、
天文学関係もカール・ツァイス の光学機器の恩恵を受けたかもですなあ。
それはともかく、今でこそ町の喧騒を余所に、静かになれる場所という雰囲気ですけれど、
シラーがここに住まったという18世紀末頃、市壁の外にあたるだけに
庭はそのまま森や田園に繋がっていたのだそうでありますよ。
庭の片隅には塔のような建物を造ったのは、より景色を楽しめるからかも。
もっとも子供がツリーハウスを自分だけの城のように思うのと同じ心持ちかなとも
思ったりするところです。このひとりになれる空間で詩作に耽ったのでもあろうかと。
ちなみにこのガーデンハウスで手掛けた大作は「ヴァレンシュタイン」の三部作、
歴史悲劇を扱った作品はその後、「マリア・シュトゥアルト」、「オルレアンの少女」と続きます。
ところで、ベートーヴェンがシラー「歓喜に寄す」に初めて目を留めたのは1792年のこととか。
シラーは1803年に改訂稿を出し、ベートーヴェンが「第九」に用いるのも改訂稿の方ですが、
これもシラーはこのガーデンハウスで改稿を思案したのかもしれませんですね。
もっとも先日聴いた読響第九 のプログラム・ノートによれば
シラーが書いた全96行のうち、ベートーヴェンが使ったのは36行だけ。
しかも、よく知られるようにバリトンの歌い出し3行はベートーヴェンのオリジナルですから、
こう言ってはなんですが、いいとこ取りしたともいえましょうか。
とまれ、自然に囲まれて落ち着いたシラーの暮らしぶりが彷彿される
イエナのガーデンハウスなのでありした。