ワイマールにやって来て、シラー やゲーテ 、リスト の住まった家々をはじめ
やらあちらこちらを歩き回ったわけですけれど、だんだんと一日も終わりに近づいていき…。
まだまだ訪ねたいところは多々あれど、
先にも申しましたようにワイマールでの宿泊が叶わなかったものですから、
イエナの宿に戻らねばなりません。そこで、最後の目的地としたのが
バウハウス博物館ワイマールでありました。
が、実は午前中のうちから早々にバウハウス博物館には立ち寄るつもりだったですが、
結果的にヘルダー教会 にたどりつく道すがらのことを書きました折、
「旧市街をゆらりとしているうちに道を見失いかけ…」と言いましたときが
実際のところバウハウス博物館を見つけかねていたのでありましたよ。
その後、街角の観光案内図をしげしげと眺めるに及んでようやく
「あらら、ガイドブックの地図とは全く違うところにあるではないの…」と知ったわけでして。
参照したのは「○○の歩き方 '16/'17年版」ですから
さほど情報が古いこともなかろうとは思っていたものの、
かようなこともあるので要注意ですなあ。
かつてゲーテ=シラー記念碑の立つ宮廷劇場前広場 近くにあったと思しき博物館は
朝にワイマール中央駅からバスでたどり着いたゲーテ広場から
少々駅寄りに戻ったあたりに移って2019年4月から新たな建物で開館したのだそうな。
駅寄りなれば帰り道と最後にした、とまあ、そんなわけなのですね。
そこで一旦戻ったゲーテ広場から旧市街とは反対の方向に歩き始め、
その途中にはこのようなところも。
「Musikschule Johann Nepomuk Hummel」とありますので、フンメル音楽学校。
確かベートーヴェンとほぼ同じ時代の作曲家とは知っているフンメルであるも、
1819年以来ワイマールの宮廷楽長を1837年に亡くなるまで務めたという。
ワイマール文化はゲーテ、シラーといった文学系に代表されて
その影に隠れがちではありますけれど、音楽の方面にも力を入れていたのですなあ。
その担い手のひとりがフンメルだったというわけですね。
後の宮廷楽長フランツ・リストほどには歴史的ビッグネームではないものの、
フンメルのキャリアを改めて探ってみますと、
幼くして父親とともにヨーロッパ演奏旅行に出てはピアノを披露して神童と呼ばれ、
ヴァイオリンではハイドンが楽長を務めるエステルハージ公の楽団のコンサートマスター、
やがてハイドンの後釜として宮廷楽長に座った、という人だったのですなあ。
フンメルの作品として個人的にすぐに思い浮かぶのはトランペット協奏曲なのですけれど、
多作の中で一作だけトランペット協奏曲を残したハイドンとの関わりあってこその
トランペット協奏曲だったのであるなと思うところです。
同じ時代を生きたベートーヴェンが次々と革新的な音楽を生み出したのに対して、
その当時の人々に違和感なく受けとめられるタイプの曲を送り出したフンメルは、
今ではすっかり影の薄い作曲家になってしまっていますけれど、
古い、新しいといったことから離れて、改めてフンメルの音楽を聴いてみようかなと
思ったものでありますよ(その後、すっかり忘れておりましたが、この際近々にも…)。