エアフルト大聖堂 からトラムがぎりぎりすり抜けていく道(マルクト通り)を少々辿りますと、
市庁舎のあるフィッシュマルクト(フィッシュマーケットですな)に到達します。
ドイツではまま、マルクト広場というのが町でいちばん大きく賑やかな場所だったりしますけれど、
エアフルトの場合、広場は何ともこぢんまりしているのですよね。
ただ小さいからといって侮ってはいけんようで、中世の交易路の中でエアフルトは
ドイツ地方の南北を結ぶ道とヨーロッパを広く東西に結ぶ道の交差点にあたり、
商業都市として大いに賑わったというのですから。
ちなみに広場の真ん中に立っているのはローマの戦士を象った像が。
神聖ローマ帝国選帝侯のひとりであるマインツ大司教お抱えの町なだけに、
交通の要衝の守りは堅く、てな意味合いでもありましょうか。
目を転ずれば、かつてのエアフルトが大いに繁栄した町であることを偲ぶ建物も
フィッシュマルクトを囲んでいることに気付くところですけれど、そんな建物のひとつに
エアフルト市庁舎があるのですな。
現在のこの建物は1870年代に建てられたネオゴシック様式…ですが、
気になっていたのはその内部の方でありまして。
とはいえ、入口のこの重々しい扉を開けて中へと踏み出すには
いささかの度胸が要りましたなあ。とまれ、市庁舎の内部には何が?となれば、
そこここの壁に絵が描かれているというのですな。
エアフルトにゆかりある出来事や物語に関わる壁画ということでして、
例えばこちらはグライヒェン伯爵エルンストの物語であると。
詳しい話は知らないのですけれど、十字軍遠征で捕虜になってしまったエルンスト、
スルタンの娘に言い寄られ…、途中をざっくり略すと右の絵のように
テューリンゲンに残していた妻とスルタンと娘と両手に花(とは不謹慎ですが)の状態に、
といった話であるそうな。
こうした女性がらみの話で思い出すのが(ヴァルトブルク のあるアイゼナハ が近いこともあり)
「タンホイザー 」の物語…と思えば、しっかりこの物語を描いた壁画もあったのですなあ。
快楽の世界にどっぷり身を委ねるタンホイザーでありましょうか。
なんだか市庁舎の中は愛欲絡み一色かも思えてきそうになりますけれど、
さすがにそうではありませんですね。
こちらはマルティン・ルター の生涯を描いた中の一部でして、
真ん中の若い修道士に老人がすがっている場面は有名なエピソードであろうかと。
上昇志向があって教育に熱心だった父親の期待を一身にせおって、
マルティンはエアフルト大学に入学。法学を学んで「末は博士か大臣か」だったわけですが、
あるとき町外れの野原で雷雨に遭遇して死の恐怖を感じたマルティン、
「どうか助けてくださったら修道士になります」と祈ったのだそうな。
幸い事無きを得たマルティンは天に祈りが通じたとばかり、
大学へ戻ることはなく修道院の門を叩いたという。
これを聞きつけた父親はマルティンに取りすがり翻意を促すも…というのが
この図柄という次第でありますよ。
というふうに市庁舎内の階段や廊下をさまざま見て回ったですけれど、
いちばんの見どころは「祝祭の間」と言われるホールであるようながら、
訪ねたときには入口の扉に鍵がかかっておりました。
中はどんなだったでしょうかねえ。
とまれ、かような市庁舎、フィッシュマルクトを後にして
エアフルトの街歩きはさらに続くのでありました。