さてたどりついたのは「半田赤レンガ建物」でありました。
明治時代に建てられた赤レンガ建造物の大規模な遺構なのだそうでありますよ。


半田赤レンガ建物

「旧〇〇」てな具合に、ここが元々何の建物だったのかが示されてはおりませんが、
当初はビール製造工場として建てられたのだそうで。


明治 になると日本でも俄かにビール製造業者が続々と登場してきましたけれど、
さすがに醸造の町であるせいか、半田もビール製造に名乗りを挙げていたのですなあ。


そのブランドはといえば「カブトビール」でありまして、
「ああ、あの根津嘉一郎 が社長を務めた…」と思い当たるところでありますが、
よもや半田が創業の地だとは思ってもみませんでした。


ビール製造を目論んだのはやはり中埜酢店の又左衛門(四代目)。
甥っ子の盛田善平にビール造りを託すのですけれど、
この盛田善平と言う人は後に敷島製パンを興し、

(ちなみに有名なブランド名の「Pasco」は「Pan Shikishima Co.」の意であると)
ソニー創業者のひとりである盛田昭夫はその親戚…てなことになってきますと、
なんとも起業精神に溢れているなあと感心したりも。


ところで、建物は「レンガ造り建築としては、日本で5本の指に入る大規模遺構であり、
断熱構造建築の先駆的実例である」あたりに貴重さがあるとのこと。
たしかに壁の構造がこんなに厚いのですよね。



一方、戦時中には軍関係の施設に転用されていたこともあり、米軍機に的にされたことも。
外壁には機銃掃射の痕が残り、実弾が改修されているということで戦争遺産 という側面もあると。



戦後になると、ここを工場にした日本食品化工株式会社が
日本で初めてのコーンスターチ製造に成功したということで、こんな記念碑も。


「コーンスターチ工業発祥之地」碑

コーンスターチとは聞き覚えのあるものながら、用途までは思い浮かびませんでしたですが、
食品、化粧品、接着剤などなど身近にある実にさまざまなに使われていたりしたとは。


それはともかく、建物の中は半田市の施設として有効活用されているようで、
一部が展示施設(内部は撮影不可で図録等も作られてはおらず、誠に残念)とともに
カフェとなっている。そこでカブトビールの復刻版が飲めるとなれば、どれどれと。




復刻カブトビールには2種類ありまして

「苦みが強いけれど甘みが残る、ワインのように芳醇な赤ビール」の「明治」、
「麦の味が香ばしくライトな飲み口は現代のビールに近い」という「大正」。
実に悩ましい選択を迫られた結果として、まず「明治」を、続いて「大正」と結局は両方を。



ソーセージとブレーツェル を盛り合わせた「赤レンガプレート」とともに、ぐびぐびぐびと。
この日も暑かったものですから、黙っていてもビールがうまいわけですが、
世にクラフトビールがたくさん出回っているところながら、とかく個性に走りがちでもあり、
素直にまた飲みたいとなるものに出くわすことは稀な中にあって、

復刻カブトビール、これはいい!


残念ながら赤レンガ建物自体でビールを製造できるはずもなく、それならこの復刻版は?と
お店の方に訪ねてみたところ、南知多の地ビール業者に造ってもらっている由。
これは一度、知多半島のさらに南を訪ねる必要があるかも…と思ったりもしたのでありました。