TV番組は録画で見るところから毎度のごとく話題が周回遅れになりますが、

Eテレ「クラシック音楽館」で先日放送された「バレエの饗宴2019」を見ていて、

今年もまた「ほお~」と思ったのでありますよ。


昨年の「バレエの饗宴2018 」に接したときにも

「バレエ公演(のなまもの)を見に行ってみたいものだ」という盛り上がりはあったものの、

結局サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で「せむしの子馬 」を見たくらいに

とどまってしまいましたなあ(しかも、これは自発的に出かけたものではないですし…)。


そして迎えた今回、近頃少しずつ自分なりの見方が分かってきた焼きものよろしく、

バレエの方もとにかく見るという経験値が増えますと、それなりの受け止め方で

いろいろと思うところがあったりするのですよね。

やはり何事も経験ということでありましょうか。


だいたいバレエというのは踊りなわけですけれど、

踊りを踊りとしてみる抽象性と言いますか、明らかな物語の無いものはどうも敷居が高い。

その点、先の「せむしの子馬」は全くもって入門編ですし、その延長上には

チャイコフスキーの三部作があったりするのだろうと。


で、今回の放送で最初に登場した東京バレエ団の演目はといえば、

そのチャイコフスキーの「弦楽セレナード」だったのですなあ。


バレエ音楽でないじゃん?と突っ込みを入れるほどにものを知らないわけではありませんで、

本来的にバレエのために書かれた曲でないものをバレエに使うということがままある、

とそのくらいのことは理解はしておりましたですよ。


ただ、そういう場合は往々にしてストーリーというものが無いケースが多いですね。

そうなると話の展開を想定しながら見るということができないわけで、

拠り所はもっぱら踊りそのものをそのまま受け止めることになるのですなあ。


これが以前はピンと来ていなかったところながら、

いざ「弦楽セレナード」を見始めて思い浮かんだところは「バランシン、すげえな…」ということ。

バレエのことをさほど知らずとも、その名は知っている振付師のジョージ・バランシン、

やっぱりこの人の振り付けって大したものなんだなあと感心したのですなあ。


先にも触れましたように、バレエが踊りで物語を伝えるものだとすると理解はしやすい。

ですが、そもストーリーが無いと(素人の発想としては)踊りのイメージを何かしらの言葉にして、

その連続の中では勝手に?物語を作り出して理解の助けにしたりしていることもあるのですよね。


ですが、このときにはバレエをバレエとしてそのままに、

流麗な動きなどの見せる美しさといいますか、そのあたりに感心してしまったのでありますよ。


このことは番組の後の方で東京シティバレエ団が見せた「Octet」というプログラムでもまた。

メンデルスゾーンの八重奏曲にのせてバレエを振り付けたものですけれど、

これも動き、流れの妙に「ほお」と思ったものでありますよ。


また、最後のプログラムだった牧阿佐美バレヱ団による「ドン・キホーテ」第3幕は、

全体としては「ドン・キホーテ」を扱ったストーリーがあって展開するバレエでしょうけれど、

取り上げられていた第3幕はいわば宴会の余興的に踊りが次々披露されるという場面で、

はっきり言ってしまうと物語の進行上は全く無くてもいいところながら、

これがあるからこそバレエ作品として生き残っているのであろうなと。


ですので、ここはそういうものとして(大枠のストーリーには目もくれずに?)

バレエをバレエとして見る点ではそもストーリーが無いものと同じと言ってもいいような。


そんなことを余裕をもって見ることができたとなれば、

我がことながらも「ちと見方が少し広がったかな」と思ったような次第。


昨年段階では、ライブのバレエ公演を見に行こうと思ったときに

どうしてもストーリーのある演目でやらないかということばかり気にしてましたが、

ここは思い切って「アブストラクト・バレエ」なるものに挑んでみますかね。

そんな気にさせられた「バレエの饗宴2019」なのでありました。