ちょいと前に備前焼の展覧会@東京国立近代美術館工芸館を見て、
「ほうほう、備前焼は六古窯のひとつなんだぁね」と思ったわけですけれど、
折しも出光美術館では「六古窯 ―〈和〉のやきもの」なる展覧会が開かれておるとなれば、
やっぱり出かけてしまいますですなあ。
そも「六古窯」とは、瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前のことであると。
だいたい「平安後期から鎌倉・室町に生み出された」焼きものの系譜のようですね。
ですが、茶の湯の隆盛以前の焼きものはもっぱらにして生活の道具であって、
中世の人々にとっては「壺」、「甕」、「擂鉢」が三種の神器と言えるものであったようです。
技法的にも、その頃の焼きものは三種類に分けられるようですけれど、
ひとつは「瓷器系陶器」(「瓷」は「瓦」の上に「次」と書いて「し」と読むらしい)、
ひとつは「須恵器系陶器」、そしてもうひとつが「土師器系陶器」とういことで。
土師器系の陶器(むしろ土器といった方が馴染むような気も)が最も素朴なものでしょうか、
「800℃前後の野焼きによる素焼き」で作り出されたもので
いわば使い捨てにしても惜しくないような感じのものかもしれません。
瓷器系陶器は「奈良・平安時代以来、日本で作られていた無釉の白色陶器と
高火度焼成の施釉陶器の技術を継いで発展させたもの」とのこと。
「焼成の最終段階で、酸化焔焼成により表面を赤褐色に焼き上げる」のだそうで。
そして須恵器系陶器は「古代の須恵器の焼成法を継承」して、
「焼成の最後に燻べ焼き(くすべやきと読むそうな)還元焔焼成を行い、
(ざっくり言って酸素が少ない状態で焼くことのようです)
炭素分を器壁に吸着させ、表面が青灰色になるのが特徴」ということでありますよ。
…とまあ、こんなふうな解説引用ばかりをしておりますと、
「ああ、焼きものって化学の実験のようであるなあ」と改めて思うところではありますな。
さりながら、今や焼きものを愛でるという点から見た場合には(これまた解説文ですが)
「熟練した作り手でさえもコントロールできない、土と火との格闘の中で生み出され」た結果、
つまり一定の想定の元に焼いてみたところが結果としては
思いもよらぬものが現れるてなこともあって、それが目を引くと言ったらよいでしょうか。
で、六古窯それぞれの焼きものを、そして影響のあった唐物なども織り交ぜた展示を
見ていったわけですけれど、当然に展示作品にはそれぞれの来歴などもあり
珍重されている品々であるとは思うところながら、素人目(つまりは好きか嫌いか目線)では
くくっと思わず吸い寄せられるものが並んでいるというふうにも見えないものではあり…。
そうはいっても、この越前窯から出た双耳壺の素朴でいてきらり!には
くらっとさせられもして…(これが自然釉だというのですものねえ)。
そんなことで今度から越前焼も気にしておこうてな興味繋がりが生ずるのですから、
こうした展覧会にも足を運ぶ甲斐無しとは言えず、というものでありますね。

