エカテリーナ宮殿
のあるプーシキンの町からサンクトペテルブルク中心街への移動途中、
車窓から見えたひとつの銅像、「やっぱり残されているのもあるのだな…」と思いますですね。
分かりにくいでしょうけれど、レーニンの像
です。
拡大してみますと、後ろの建物の屋上中央には「鎌と鎚」を交差されたシンボルが。
ソ連時代に政府関係の建物として建てられたものでしょうかね。
そんな場所柄からか、レーニン像は残っていますけれど、
地元民の間ではこの像の身振りから「タクシーを止めようとしているレーニン」として
親しまれている(?)そうでありますよ。
そんなレーニン像からもそっと進みますと、今度はまた変わった建物が現れました。
ここではツアーバスから下車して、束の間、写真タイムとなりましたですが、
まあ、天辺に十字架が付いていますから教会かな…と想像は尽きますですね。
されどロシアで教会と言えばおよそ光り輝くタマネギが乗っかっているのが常でので、
もしやロシア正教会ではない教会?とも思えばそうではなくて
皇帝が建てさせた歴とした正教会とか。
ですが、皇帝が建てさせたと聞きますと、
つい先ほどまで見ていたエカテリーナ宮殿のようなお菓子っぽさが
この教会にもあるなと思いいたるのですよね。
「洗礼者聖ヨハネのキリスト降誕教会」というのが本来のようですが、
一般にはチェシメ教会と呼ばれているそうな。
チェシメというのはエーゲ海に面したトルコの町の名ですけれど、
この町の名の付いた、1770年のチェシメの海戦でロシアはオスマン・トルコ海軍に大勝利、
何度も戦争している宿敵に大打撃を与えたことを知ったエカテリーナ2世は狂喜乱舞(?)し、
勝利を記念して教会を建てさせた…これがチェシメ教会と言われる由縁でありますね。
この海戦の勝利はロシアにとってよほどの慶事であったのか、
ペテルゴフ宮殿にも海戦のようすを描いた絵が飾られていましたっけ。
ガイドの曰く「この絵はものすごく高いです」と。
今でもこの海戦を慶賀する向きがいくら金を積んでも欲しいと思っているとか、
そういうことでもあらんかと思えば、全くのはずれ。
なんでも画家(誰かは知らず…)は迫真の戦闘シーンとするために、
本物の船を爆破させて描いたのだそうな。
ガイドの言った「高い」は「コストがかかっている」ということだったのですなあ。
ということで、このチェシメ教会はエカテリーナ2世が建てさせたものですけれど、
ロシアの女帝たちはお菓子ふうの建物がお好みだったのでありましょうかね。
とまれ、この教会はそんな外観とは関わりなく、
ソビエト政権下では教会としての役割から転用を迫られた他の教会同様に
1923年以来倉庫として、第二次大戦時には航空技術研究所として使われ、
戦争で受けた被害をようやく1970年代になって修復された後は、
チェシメの戦いに関する博物館となっていたようです。
ソビエト崩壊後の1991年、ロシア正教会に戻されて今に至る。
ロシアの人々のみならず、教会もまた波乱の日々を過ごしていたのですなあ。