「グッバイ、レーニン!」という映画を見ておりまして、
2002年にドイツで製作されたものですけれど、1989年にベルリンの壁が崩れて13年後でしょうか、
こんなふうに庶民的な感覚で描き出す視点が持てたのだなぁ…と思ったりしたのですね。
映画そのものに関してもいろいろ思うところは書けそうな気がしますけれど、
ここではちと一点突破を図ろうかと思うのでありますよ。
東西ドイツ再統一の式典では
ベートーヴェンの「第九」
が演奏されたりしたのではなかったかと思いますが、
映画の中からは(ほんの瞬間的といった短いものでしたけれど)ある歌の合唱が聞こえてきたのでして、
何の歌であったかといいますれば、当時としては西ドイツの国歌なのでありますよ。
今では歴とした再統一「ドイツ連邦共和国」の国歌ということになりましょうけれど、
映画の中で歌っていたのは、もっぱら西側の人たちだったのでしょうか。
それとも東西で唱和していたのでありましょうか。
当然のように当時の東ドイツには全く別物の国歌があったわけですが、
状況的には東側から西側へとどんどん人々が流出していったことを考えると、
西側によって統合される(されたい)意識が強かったろうと思いますので、
一緒になって歌ったとしてもおかしなことではなさそうです。
ましてその歌というのが、
分断前には戦前の1922年から、当時のいわゆるワイマール共和国が国歌として
ドイツ全土で歌われていたのですから、「当然のように知っている歌」という人も多かったでしょうし。
ただご存知の方も多いように、
このドイツ国歌のメロディーはハイドン によって作曲されたもので、
一般に「皇帝賛歌」とも言われるように元来は「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」という
歌詞がついたオーストリア帝国の国歌だったのですね。
そのころ、現在のドイツにあたる地域には大小の領邦が分立状態であったわけですが、
そこへ「ドイツ意識」を鼓舞する歌詞をつけてメロディーはそのままに
「ドイツの歌」というのが作られて、大いに歌われたそうな。
後にドイツはオーストリアを除く形(大ドイツ主義に対する小ドイツ主義ですな)で
ドイツ帝国を形成しますけれど、第一次大戦を経て成立したワイマール共和国では
この「ドイツの歌」を国歌にしたという。
ですから、一時期のオーストリアとドイツとはメロディーが同じで歌詞の違う歌を
それぞれの国歌としていたことになりましょうか。
第二次大戦後、オーストリアはもはや皇帝賛歌は適当でないと考えたか、
(かといって歌詞を変えるにも曲はドイツが使っているし)
新たにモーツァルト
作とも伝えられるメロディーに歌詞をつけて国歌を作った。
一方、戦後の西ドイツでは「ドイツの歌」を引き継いだものの、
さすがにドイツの優位性を歌い上げるようなところはまずいと、
3番の歌詞のみをもって正式に国歌としたのだそうですね。
そして、現在に至る。
と、こうしてみると、オーストリアにとっていわゆる「皇帝賛歌」はおそらく国民にとって
相当に馴染みあるものではなかったかと想像するも、共和国となって敢えてその馴染みあるものから
脱皮する選択をしたわけですね。
また、ドイツにしても(オーストリアに比べると、いささか歴史は短いながら)
メロディーは「皇帝賛歌」にしても、歌詞は全く違う「ドイツの歌」として歌い継いできており、
第二次大戦後もその馴染んだ歌詞の中でも、3番に限ってはその後の新生ドイツが使っても
差し障りのない範囲だろうと考えたのでしょう。
つまり、国民に馴染みがあって歌い継がれてきたものであるにしても、
国のありようを考えたときにオーストリアは従来のものではいけんのではないか、
ドイツは従来どおりのすべてではまずいのではないかという反省と前向きな検討の結果が
そこには現れているように思われます。
話がことここまで及ぶと、
第二次世界大戦においてドイツやオーストリアと同じような立場であった某国のことを思い出しますが、
従来からのものを使い続けるばかりか、かの戦争から50年以上も経ってから改めて位置づけを明確化し、
歌詞にまつわる解釈は「昔と違って、今はこう考えれば、おかしなことはない」みたいな説明で
しのごうとしている点は、先のオーストリア、ドイツの「反省と前向きな検討」とは
どえらくかけ離れているような。
個人的には当該国の国歌とされるものの荘重なメロディーは嫌いではないものの、
それを起立して歌わないと愛国心は涵養されない…てな論調は、どうしたことでありましょうかね。
まあ、憲法まで解釈論でなし崩しにしてきたところのある国のことですから、
冷静な議論はできないのかもしれませんけれど…。