「玉さま…」などとつぶやきながら、ハート型の目になって…てなことはありませんですが、
予て坂東玉三郎 の舞台には毎度瞠目しておるわけでして(といって、生舞台は見てませんが)
このほどもシネマ歌舞伎 で玉三郎主演作品が上映されておるとなれば、出かけていくのでして。
「沓手鳥孤城落月」と「楊貴妃」の二本立てでありますよ。
芝居の作品と舞踊の作品のカップリングといったところになりますけれど、
まず芝居たる「沓手鳥孤城落月」は大坂夏の陣で落城目前の大坂城内、
淀(坂東玉三郎)と秀頼(中村七之助)の最期を描いたものでありました。
お茶々から淀の方へ、その生涯の変転を自らどのように受け止めていたのか、
受け止めていたとは余りに受け身であって、むしろどのような心中で切り拓いていったのか、
後世の者としては多分に興味本位的にもあれこれと詮索して、淀の像を作り上げておりますな。
本作では最期の最期、取り巻く女たちがなんとか生き延びる術を探ろうとする中で
ひとり淀は恥辱を忍んで生きながらえるくらいならば、城を枕に討ち死にすると頑として。
誰がどういさめようとも聞かずにいるうちに、淀は徐々に狂気の淵に沈んでいくのでありました。
まあ、話としてはそれだけなんですが、その淀をどう見せるかというのが眼目でありましょう。
シネマ歌舞伎ならではで出演者へのインタビュー映像などもあるわけでして、
その中で秀頼を演じた七之助の曰く、目の前にはまさに淀の方がいたと。
やっぱり役者から見てもそう見えたのですなあ。
もはや玉三郎演じる淀がいるのでなくして、そこにいるのはもはや淀であるというように。
後から知れば本作は、坪内逍遥 が脚本を書いたものであると。
シェイクスピア劇の翻訳などでも知られる逍遥だけに、それまでの歌舞伎の系譜とは
違った演劇世界を作りたかったのかもしれませんですね。
いわゆる歌舞伎らしい様式美で見せるような部分は
本作ではあまり見受けられない気がしますので、淀の心の動きをどう演技に表出するか。
従来の歌舞伎にもその要素はありますが、小道具の助けなどを借りることなく、
背景も薄暗い城の中というシンプルさは、あたかも「ハムレット 」などを上演する形のありようを
思わせたりするところなのかもしれません。
一方で、「楊貴妃」の方は舞踊といいましょうか、マイム(無言劇)とでもいいましょうか。
どういう場面であるかという設定はあるものの、ひたすらに楊貴妃の美しさを見るというのが
こちらの作品ではなかろうかと。
「美しさ」というのもいろいろと捉えようがありますけれど、
仏の像を目の当たりにして「ああ、美しいな」と思うときの印象でしょうかね、ここでの玉三郎は。
上のフライヤー左側の写真を見ただけでも、どこぞかの菩薩像を見るかのようです。
とまれ、何を見ても坂東玉三郎には感心させられてばかりですけれど、
時折Eテレ「にっぽんの芸能」 で玉三郎が自らの演技を後世に残そうと語りかけるような
「伝心」というシリーズが放送されているも、果たしてそれをそのままに、あるいはそれ以上に
受け継ぐのは相当に至難の技でもあろうなあと。
今回秀頼を演じていた中村七之助あたりも受け継ぐべき一人ではありましょうけれど、
共演すればするごとに後から追いかける背中が巨大なものに見えているのではないでしょうかね。
