江戸東京たてもの園 の中をぶらりとしながら保存建物をあっちこっち見ておりますが、

お次はこれまで見た個人住宅とはちと趣きが異なりまして、仕事場兼住居という具合。

住まいでもありますけれど、スタジオを併設した「常盤台写真場」でありました。


常盤台写真場@江戸東京たてもの園

この手の角を面取りした建物は技術系の自営業によくある造りなのでしょうか。

モデルプランみたいなものがあったのでしょうかね。


小学校の時分の友だちの家が、写真屋さんではありませんけれど、

印刷業だか製版業だか、そのような仕事を自営していたんですが、

この面取りの塔を見るとそれを思い出すという、単に個人的記憶なだけかもですが。


常盤台写真場のスタジオ

こちらは2階北側(上の全体像では左手の陰になった部分)のスタジオですけれど、

天井部分から全面ガラスの壁面は「照明設備のなかった頃の写真館の特徴を

よく表している」のだそうでありますよ。

なるほど写真を撮るのに暗すぎても困るし、直射日光が入っては具合が悪いわけですな。



階下の居住空間の方はなんとなく普通の住まいというよりも、

例えば学校とか合宿所とかいう雰囲気でもあるような気が。



それもそのはずといいますか、実はこのお宅、子だくさんだったようで、

子供部屋を覗いてみれば全くもって図書館の閲覧コーナーのようでありましたよ。



ところでこの常盤台写真場、その名のとおりに板橋区の常盤台にあった建物だそうで。

で、その常盤台というところは「戦前からの代表的な郊外住宅地」だったようでして、

全く知らなかったことながら「板橋の田園調布」などと呼ばれることもあるのだとか。


常盤台住宅地案内図

昭和14年の住宅地案内図を見てみますと、田園調布 とは言わないまでも

それなりに整然とした区画で分譲されたようすは窺えますなあ。


地図にも記載がありますように東武鉄道 が駅づくりと併せて行った事業ですけれど、

もともとここには貨物操車場が置かれる予定であったそうな。


以前、何かの折にも触れたように思いますけれど、東武鉄道は

伊勢崎線(浅草発)が本線的な位置づけでそれから支線があれこれ枝分かれしている中、

東上線(池袋発)だけがのれん分け的に離れている存在ですな。


これはもともと東上線が別の会社で運行していたところを東武鉄道との合併があり、

東武としては伊勢崎線と東上線を結ぶ新路線を今の環七通り沿いに造ろうとしたのですな。


それの新路線が完成した暁には、

この場所で貨物の荷捌きをしようと土地を持っていたわけですが、あいにくと計画は頓挫。

昭和7年に新線敷設を断念し、昭和10年には旅客駅を設置、宅地開発を始めたと。


常盤台写真場は昭和12年に建てられたとそうですから、

開発当初の常盤台の姿やその後の町の拡大なども写真館の方々は見てきたはず。

むしろそうした頃の写真が残されていたならば、それはそれで大層興味深いものだろうと

思ったりするのでありました。