両親のところでは、TVのニュースで西日本の大雨のようすばかり見ていた気がしますですね。

広い範囲で被害が出ているのを目の当たりにして、つくづく岡山・松江への出張が

一週間前で助かった…と思ったり。


もしもぶち当たってしまっていたら、

たどり着けない、移動出来ない、帰って来られないなんてこともあったろうと思うわけですが、

ただ通りすがるだけの者よりもその場に住まう人たちの方がもっともっと大変だあねと

思ったりするのでありました。


そんな折ではありますが、現地応援の意味も込めて(?)岡山の話、

やがては松江の話と続けてまいろうかと思っておる次第でありまして。


(話は遡って6月29日段階のことですが)岡山空港 にたどりついたときには

関東地方の状況とは打って変わって、時折稲妻が走るどしゃ降りの空模様であって、

リムジンバスで市内へ移動したときにはいくらか良くなってはいたものの、

思い切りの梅雨空で低気圧気配が充満しておりました。


仕事の前のひと時を利用して、「岡山に来たならば」と

日本三名園のひとつである後楽園と、そしてこれに隣り合う岡山城を見てやろうかいてな

目論見を抱いたりしていたわけなのですね。


とりあえず、岡山駅前から路面電車に乗って城下へ。

(ちなみに「じょうか」と読むかと思えば「しろした」でした)

ピンポイントで後楽園を目指すのならば、バスに乗った方が便利ですけど、

何となく路面電車には乗りたいもので(笑)。


とまれ、「城下」電停から歩くことしばしで鶴見橋なる橋を渡って、後楽園の入口へ。

鶴見橋の下はてっきり岡山城の濠かと思い、ずいぶんと大きな濠だなと思うと、

これが旭川という天然の河川だったのですなあ。


と、そこまでたどり着く間にもすっかりと降り込められて、

この状況で大名庭園をしみじみ回遊するてな気分ではないわいなと。

やむなく方針転換して、すぐそばにあった屋内施設の岡山県立博物館へと退避することに。

ここでは「サムライアーマー甲冑 岡山ゆかりの名品と変わり兜」という特別展が

開催中なのでありました。


特別展「サムライアーマー甲冑 岡山ゆかりの名品と変わり兜」@岡山県立博物館

特段、甲冑や武具に興味がある方ではありませんですが、

いろいろな解説とともに展示を見ていきますと、それはそれで興味深いというか。

(だからといって、これを機に造詣を深めてみようとまで思うところではありませんけれど)


気付くことのひとつとしては、古来、戦争が科学を進歩させたという面がある中で、

甲冑やなんかを作る技術というのも、必要に迫られて?発展したのだろうなあということ。


例えば鎧の胴の部分などに小さな札状のものが連なって取り付けられていますな。

小さな札状なだけに「小札(こざね)」と呼ばれる部品のようですけれど、

そうしたものが鎧に取り付けられているとは気付いていても、

それが何で出来ているかとは考えてみたこともなかったわけです。


国宝「赤韋威鎧」(本展フライヤーより)


これが同館所蔵の国宝「赤韋威鎧」(残念ながら見たときの後期展示はレプリカでした)の

解説によりますれば、小札は鉄製と革製が交互に括りつけられているのだそうな。

(前身ごろというのか、ほぼ全体的にじゃらじゃらと取り付けられておりましょう)


もちろん防具であることからすれば、西洋甲冑を見てもわかりますように

全面的に鉄を用いるのが高い防御性を発揮するわけですけれど、

それではあまりに重く機動性に欠けることこの上ない。

そこから、鉄と革とを交互にという知恵が生まれてきたのでありましょうね。


もっとも、それでもこの鎧は総重量およそ25kgと言いますから、

相当な負荷を背負った状態で戦闘に及んでいたのですなあ。

この鎧は源平合戦の頃に実際に着用されていたものということです。


ところで、展示されている甲冑の中には妙に保存状態が良いものが見られますね。

これも解説にあたってみれば、そうした類のものはどうやら実戦用ではなく、

戦勝祈願として寺社に奉納されたものであるようす。


実戦では用いず、神仏に喜んでもらって(?)勝ちを引き寄せたいという思惑からして

この手の甲冑は自ずと贅を凝らしたものになっていくわけですな。

ですから、こっち方面の甲冑では「飾る」という工芸的な技術が磨かれていったことでしょう。


こうした点は、甲冑の展示に続いてあった「変わり兜 」にも言えることでもありそうな。

「変わり兜」は武将が戦場にあって目立つ(侍魂の見せどころなのでしょう)ことを

大いに助けたものと思いますけれど、展示を見ていて気付くことは多くの変わり兜が

江戸期の半ば以降に作られたりしているということなのですなあ。


大きな戦闘が無くなった時代でもありますので、

これはもう武士の嗜み、趣味嗜好の世界に入り込んできているやに思うところです。

前立てなんかに非常に凝って、何の形を模しているかを他の人に想像させることによって

「おお、そんな含意が?!」みたいなやりとりもあったのではないかと。

江戸時代に「判じ物」が流行ったのと流れは同じなのかもしれんなと思ったものでありますよ。


とまあ、そんな具合に思いを巡らした甲冑展ではありました。

後楽園と岡山城はまた別の機会に訪ねるということで…。