…ということで関内駅から歩き始め、さして広くもないエリアの途中途中でひっかかりつつ、
記念碑などを見て回ったわけですけれど、最終の目的地は横浜市開港記念会館。
ここの講堂で開かれるアンサンブル山手バロッコの演奏会
を聴くためでして、
その演奏会のことを書いたのはもう半月以上も前のことになってしまいました。
それはともかく、あちこち経廻ってたどり着いた横浜市開港記念会館ですが、
先にも申したとおりなかなかに味のある建物でありますよね。
ちょうど目の前に「シウマイ」(シュウマイではないのですな)と書かれた崎陽軒の車が
止まっているのはなんとも横浜らしい光景でもあろうかと思うところでありますよ。
ただ、横浜名物というとすぐさま文明開化以来の品でもあろうか?!と思ってしまうがちながら、
「ありあけのハーバー 」ほど新しくはないにせよ、崎陽軒の「シウマイ」も結局のところ
昭和の産物なのでありました。
ところで、気付いてみればこの建物の周囲に
また記念碑めいたものがいろいろ並んであったのですなあ。
まずは「史跡 横濱町會所跡」の碑であります。
明治22年(1889年)に市制が施行される以前の横浜町の町会所(町役場)がここにあり、
その後火災で焼失した建物に代わって現在の「ジャックの塔」を含む建物が建ったということで。
ですが、町会所が明治7年(1874年)に竣工する以前、
開港したころから明治初年までのこの場所は石川屋という生糸の店があったそうで、
岡倉天心
の父親が支配人をしていたのだそうです。
そこで、ここにはこうしたものもあるのですな。「岡倉天心生誕之地」碑です。
そしてもうひとつは「横浜商工会議所発祥の地」碑。
横浜商工会議所の前身である横浜商法会議所が明治13年(1880年)4月に、
町会所内で設立されたということで。
商法会議所は渋沢栄一らが東京で、続いて五代友厚らが大阪で
組織したのを皮切りに全国で組織されるようになっていきまますが、
横浜商法会議所もそのひとつということになりますね。
と、最後に見た史跡は建物の周囲というには交差点の向こうですのでちと離れていますが、
一見、瓦礫とも見えるこうした遺構が残されておりました。
ありし日にはアーチ型の中にある写真パネルのような建物であったところが、
まるでマカオの聖パウロ天主堂跡のように壁面だけが残されてある状態に。
かつては開通合名会社という通関業者の建物であったものが、
関東大震災で倒壊するも、壁面の一部が復興建築の中に取り込まれて残されていたという。
2014年、そこにあった建物を解体したところ、タイムカプセルを開けたかのように
この壁面が現れ出でたということなんですなあ。
土の中からあれこれ掘り出されるということはままあるにせよ、
建物の中から昔の建物の一部が出てくるとは、
スクラップアンドビルドが基本線の日本ではあまりないことなのではなかろうかと。
とまあ、最後の最後に開港記念会館の周囲をうろちょろして、
いよいよ演奏会とばかり、建物の中へ…と入ってみますと、
この建物、内部を見学することができたようで、これは知りませなんだ。
またの機会に中を覗いてみることにいたしましょうか。
ということで、今回の短い横浜ぶらり は終了でございます。