そうそう、納豆 のことを書いていて思い出すところがまた。
今では納豆のパッケージを開けるとほぼもれなく「納豆のたれ」なるものが入っていようかと。
何の疑いもなくの出汁系風味のたれなるものを掛けて食すようになっておりますが、
かつてかような代物は入っておりませなんだ。
単に黄色い洋がらしの小袋がぽろっと入っているだけでしたな。
ですから、以前は魯山人のように(といって、半端な回数のかきまぜ方ですが)
ある程度かき回して醤油を垂らして、ごはんに乗せて…としていたわけですが、
この納豆の食べ方が決して一様ではないと知ったのはかなり後のことでありまして。
端的には納豆には醤油プラス砂糖、つまり砂糖醤油といいますか、
それを掛けて食すという文化、風習があるようだと。
そうした食し方に全く接することのなかったものとしては、いやあ驚いた、驚いた。
もっとも、それだけ驚きながらもついぞ試すつもりにはならないのですけれど。
ところで砂糖に関してですが、
かつて読んだ「日本の食文化史 」にあった一節をよみがえったものですから、
ちと長いですがここで引用を。
ながいあいだ日本では「砂糖」を生産することなく、中国から輸入される珍奇な品物であり、薬用品であった。
…鎖国後も、海外との交易を許された唯一の港である長崎にオランダ船や中国船がもたらす重要な物資のひとつが砂糖であった。十七世紀になると、琉球や西南日本の温暖な地方でサトウキビを栽培して、国産の砂糖を生産することがはじまる。砂糖の普及によって、都市には菓子の専門店が成立し、さまざまな種類の菓子を製造販売するようになった。
つまり、日本においては砂糖 を使うこと自体が相当な贅沢という歴史があるわけですね。
砂糖の普及とはおそらく明治以降でしょうから、類似品は縄文時代からあると言われる納豆に
砂糖を掛けて食すという文化は長い歴史の中では比較的新しいものでもあろうかと。
さらに言えば納豆にまで砂糖を掛けて食すという食べ方が
もしかしたら家庭ごとの差異としてあるのであれば、砂糖を加える派のご家庭は
いわゆるお金持ちであったか、あるいはハイカラ、新し物好きのご先祖をお持ちの家柄かの
いずれかかもしれませんですなあ。
自分のところは先にも申したとおり、
単純に醤油派でしたのでお金持ちでもハイカラでもないわけですが(笑)。
とまあ、そんな思いがよぎったのではありますけれど、
考えてみればある食品に何を掛けて食べるかというのも、千差万別だったりしますですね。
目玉焼きには醤油をかけるのか、塩をふるのか、はたまたソースなのか、ケチャップなのか、
マヨネーズなんつうのもあるかもですし。
納豆もそうした千差万別のひとつでしかない、それまでも話なのかもですけれど。