今朝、朝飯で納豆を食したのですね。
まあ、珍しいことでもなんでもありませんけれど、その際にふっと思い出したことがふたつ。
以前、TVだかラジオだかで見聞きしたことの受け売りにはなりますが、
納豆に関する蘊蓄めいたことでして。ま、ご存知の方も多いとは思いますですが。
ひとつはテクニカル?なことでありまして、
納豆のパッケージを開けると、現物の上に必ず乗っているフィルムのはずし方なのでありますよ。
単純に引きはがそうとすると、これに耐えようとフィルムにしがみつくがんばりやの豆粒に
必ずや出くわすことになろうかと思います。
ですが、あたかもがんばりやの豆粒をなだめるように?やさしく、
フィルムの中央をつまんで回転させるようにしながらフィルムを持ち上げますと、あら不思議。
しがみつきっこはひと粒もおりませんでした…と、きれいにはがせるというのですなあ。
こうしたフィルムのはがし方には「トルネード手法」とかいう呼び方まであるとなれば、
結構知られた知恵なのかもしれませんね。
もうひとつは食通としても有名な北大路魯山人の納豆話からです。
こだわりのある方には「たかが納豆」ではないのですなあ。
とにかく納豆は数多くかき混ぜるを良しとしているようでありますよ。
では食べごろはと言いますれば「糸のすがたがなくなってどろどろになった納豆」だそうで。
混ぜ返すことによって旨みが増すというのは本当のことのようですけれど、
魯山人が求めるところの納豆に至るには「400回混ぜるべし」ということが
いつの間にか広まるようになったようですね。
魯山人本人が回数を語り伝えてはいないようでもありますのに。
しかしまあ、本気で400回かき混ぜるのはなかなかに骨だということもありましょう、
そこに目をつけてこんな商品まであったとは…。
たかが納豆、されど納豆…でありましょうかね。