「人生フルーツ」。90歳のおじいさんと87歳のおばあさんの日常。

人間らしい生き方をこうと定めてあせらずゆっくりの日々に寄り添ったドキュメンタリー映画です。


「人生フルーツ」

基本的には何でも自分で作る。食べ物でも道具でも。

そのことにかなりこだわりのあるおじいさんですけれど、

何もかも既製品を否定するといった頑迷さは持ち合わせてはいない。

どこに線引きがあるのかははっきりとは分からないけれど、

ご自身の中にはしっかりとした区分けがあるのでしょう。


そして、そうしたおじいさんを全部ひっくるめて受け止めているおばあさん。

よくあることではありますけれど、おじいさんのこだわりが単なるわがままとならないのは

このおばあさんあってこそでありましょうね。


そんな二人が庭の畑を耕して手にする作物は、野菜や果実、ひっくるめると

100種にもなろうかという自給自足にも近い形。

ではありながら、電気を使わないわけではない、ガスを使わないわけではない。

かといって、単に頼り切ることもない。


自給自足にしても、省エネルギーにしても、断捨離にしても、

やるときゃやる…けれど、やらないとなれば全くやらない…という具合に

とかく「All or Nothing」になってしまうところがありますけれど(と、自分のことですが)、

そうしたこだわりから離れているからこそ長続きするのでありましょうねえ。


おじいさんは建築家でした。住まいにもこだわりがあります。

一時、アントニン・レーモンド の事務所にいたこともあってでしょうけれど、

自宅はレーモンドが自邸とした建物そっくりに作られているのですね。

やはりレーモンド邸を模して作られた高崎の旧井上房一郎邸 とうりふたつでありますね。


天井裏のない高い屋根を独特の構造の梁が支え、

解放感と同時に北側の高窓からも間接光が入って明るさを確保しています。

南面は「芯外し」で庭側に窓を全開できるようにもなっているのでありますよ。

こうした住まいの工夫は省エネ的な観点ばかりでなく、

日本の気候風土にも適うとの選択の結果なのではないですかね。


といいますのも、おじいさんはレーモンド事務所の後、

日本住宅公団(現・都市再生機構)に勤務し、

戦後の住宅難解消をめざして計画された愛知県の高蔵寺ニュータウン事業に係るのですが、

そこで土地の起伏、景観を意識した住み心地を意識したプランを提案するのですな。


ところが竣工後の姿はおじいさんが考えていた形のとは似ても似つかぬもの。

経済性優先の土地活用ということで敷地に建てられるだけ、

同じ形の箱型団地が建設されてしまったという。

山は削られ、谷は埋められ、景観もなく、住み心地などは後回しの状況であったとか。


もっともひと頃の「団地」はみんなそんなようなもので、

そうした中のひとつで育った者としてはおじいさんの気持ちがよおく分かる気がしますですよ。


とまれ、おじいさんにとって自らが考えるライフスタイルの実現は

自らの実践によってしかなしえないと思ったのかもしれませんね。

おじいさんの家は、意図に反して箱型の建物が軒並み連なることになってしまった

高蔵寺ニュータウンの目と鼻の先。


かつて自分の考えではどうしようもなく建てられてしまった住宅群を目の前にしながら、

おじいさんとおばあさんはレーモンド風の家に住み、庭の畑を耕し、果樹に手間をかける。


「ながく生きるほど、人生はより美しくなる」とフランク・ロイド・ライトが言ったという言葉が

映画の中で紹介されますけれど、ゆっくりじっくり育って実りのときを迎え、

熟し切ってもう落ちてしまうか…というときこそ人生がもっとも美しい瞬間であるとすれば、

「人生フルーツ」なるタイトルもむべなるかなと思うところでありますよ。

ただ、自分自身が生きていく中でそのように思えるかは別なのですけれど(苦笑)。