ピアノがロシアに伝わったのは遅かった ものの、

その後演奏技術の点で大きく花開いたといったことを先日書きましたですが、

伝わった先で大きな変貌というか、思いもよらぬ存在感となった楽器がありますね。

バンドネオンでありますよ。


バンドネオンといえば、即座に思い浮かべる音楽はタンゴであって、

国でいうならばアルゼンチンということになりましょうかね。


ですが、バンドネオンという楽器はそもそもドイツで発明されたのだという。

それもパイプオルガンの簡易な代用品と言いますから、

パイプオルガンで奏でるような宗教曲をこそ演奏することが

当初の目論みだったのかもしれません。


確かにふいごならぬ蛇腹でもって風を送って音を出すわけですから

基本構造はオルガンと一緒ですが、より似ているのはアコーディオンの方でしょうか。

何しろ鍵盤がついていますものね。


これに対して、バンドネオンの方は

蛇腹の側面に付けられたボタンでもって音程を変え、メロディーを作り出す。

どうやらアコーディオンの方が歴史的には先にできたようですので、

鍵盤でなくってボタンにしたということのメリットが何かしらあるのでしょう。

想像ですが、ひとつにはより軽くポータブルである点でしょうかね。


とまれ、そうしたバンドネオンが

今ではもっぱらタンゴの楽器に使われるようになったのはどうしたことか。

これって、もしかすると移民とも関係するのかいね…と思ったり。


Wikipediaには「20世紀になり、ドイツから大量のバンドネオンが(アルゼンチンに)輸出され、

タンゴでよく用いられる楽器となった」との記載がありますけれど、

とにかくアルゼンチンにバンドネオンがたくさん輸入されることが先にありきというよりは

少しずつタンゴで使われるようになっていたので、輸入が促進されたと考えたくなるところ。


つまりは20世紀になって大量輸入される前から、

バンドネオンをタンゴに用いるケースが出てきていたのではと思うわけです。

そこでやはりWikipediaの「アルゼンチンの歴史」の項にあたってみますれば、

『急速な近代化と「移民の洪水」(1880年-1916年)』という区分があることに気付くのですな。


「特に1871年から1913年までに定着した317万人ものヨーロッパ人の導入により…」てなことも

書かれてありまして、スペインやイタリアからの移民ほどではないとしても

ドイツからの移民もある程度いたことでありましょう。


アルゼンチンとドイツとの関わりは、例えばユダヤ系ではないもののナチスを嫌って

指揮者のエーリヒ・クライバー(カルロスのお父さんですな)がアルゼンチンに移住したのも

受け入れられる素地があったからでしょうし、一方で皮肉なことに第二次大戦後には

元ナチのアドルフ・アイヒマン の潜伏先になっていたというのも関わりの一端なのかもと。


なにやら話が大袈裟になってきましたですが、

バンドネオンがすっかりタンゴの楽器になった背景を勝手な憶測でもって

思い巡らしてみた…とまあ、かような次第でございます。

たぶんに的外れにしても、こうした思い巡らしは興味深いものではありますよ。