近しいところからの高評価を聞き及び、シリーズもののドラマを一気に。
「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のシーズン1、全13話を見終えました(ふう…)。
ドラマといえばてっきりTVと思うのはもはや短慮のようでありまして、
これはネット配信で初公開されたのだとか。
おそらくはそのことに驚くこともないご時勢であって世は移り変わるものだなと。
その反面、人は変わらんのだなあとこのドラマを見ていて思ったところでありますよ。
「人が変わらない」というのは、ここではもちろん(?)いい意味ではありませんが、
(この間「ドレッサー 」を見てシェイクスピア の名残りが少々頭にあったからか)
16~17世紀の劇作に描かれた人物たちのように権謀術数の限りを尽くす輩というのは
途絶えることがないようで。
主人公の下院議員フランシス・アンダーウッド(ケヴィン・スペイシー )は
大統領選挙選での貢献に対して国務長官就任が約束されていたにもかかわらず、
土壇場で反故にされてしまう。
これに納得がいかないフランシス、ここからは全て面従腹背で
さまざま人事を裏から操り、自らの利へと結びつけていくのですな。
その努力たるや、それだけをみればよくもまあとは思えますねえ。
自らの代わりに国務長官候補となったものを貶めて失脚させ、
その作戦遂行には弱みを握っている若い下院議員を使いますが、
これを副大統領就任で不在となったペンシルヴァニア州知事に立候補させる。
ところが(…と当然にネタばれ的になってしまいますが)、この州知事選が不調とみるや、
副大統領を党の安定のためと説いて州知事に再立候補させ、当選の暁には
自らが副大統領に収まってしまおうと…。
こまかく書かずともここまでのところで悪事の数々を重ねているわけですが、
そのやり口というのが甘い言葉で人をその気にさせる一方で、
耳に毒を注いで反目をあおる…てな具合。
とってもシェイクスピアっぽさが感じられて、
知っている話を引き合いに出せば「リチャード3世」を彷彿と。
フランシスが画面(カメラ)に向かって、つまりは観客に向かって直接語りかける方法が
多用されている点でもシェイクスピア時代の演劇をなおのこと思い出してしまうのでしょう。
まあ、シェイクスピア劇が今でも面白いように、この作品もまた同様にとは思うものの、
決定的に違うのは昔の人たちの物語を見て「今でも変わらんことがあろうな」と思うことと、
リアルタイム現代にこうしたことがあるのだよと示されてしまうことでしょうか。
まさに今でもといったふうに見せられてしまいますと、
うんざり度合がものすごく高く感じられてしまうのですよね。
さらに悪いことにはシーズン1であったことをきちんと受け止めておれば、
続きがあると気づいたはず(後から知ったところではなんとまあ、シーズン5まで)。
実際、シーズン1はフランシスに副大統領の椅子が約束されたかに見える裏側で、
それまでの工作の綻びが見え始めている…というところで終わる。
どうなるんだぁ?と思いまさぁねぇえ。
ですが、ドラマはドラマとして見る限りではそれを楽しみに見ることもできましょうけれど、
先ほど触れたような「うんざり」感を抱いたことを思い返すと、この先、どうしたもんだろうかとも。
見終わって、何とも悩ましさを抱えてしまった「ハウス・オブ・カード」のシーズン1でありました。