3月の読響公演@東京芸術劇場は「ドイツ・ロマン派名曲選」とのこと。
プログラムはウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲に始まって
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と続き、最後にシューマン
の交響曲第3番でありました。
メイン・プロの尺がいささか短いところからすれば、
その前にもうひとつ何かしら小品が置かれていてもよかったような。
何せ「名曲選」ということですからねえ。
とはいえ、内容的にはほどほどに満腹感の得られるものではありましたですよ。
「オイリアンテ」序曲はまあ音出しとして(とは、ウェーバーに失礼ですが)、
メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトはちと曲の魅力を見直すことになりましたですよ。
といいますのも、この超有名曲を「いい曲だなあ」とはあまり思ったことがないものですから。
あまりに知られて、憂愁さがベタだなあという気さえしてしまう第1楽章冒頭のメロディーと
跳ねまわるような第3楽章との組み合わせが(個人的には)どうにもしっくりこなくて、
曲全体を聴き通す気にはなかなかなれないのでして。
ところが、この日の演奏を聴いて「ああ、こう受け止めるんだあね」と思ったのですなあ。
ひとえにソリストであったアラベラ・美歩・シュタインバッハーによる演奏の賜物でありましょう。
きれいきれいなばかりの音ではなく、またざらっと渋い方に寄ってばかりでもなく、
うまくは言えませんが、操る音色に現れる個性が曲の(個人的に感じる)ちぐはぐさを
見事にバランスのとられたふうに感じさせてくれたのでありますよ。
ヴァイオリンの音色ばかりでなくして、また立ち姿も良かったですなあ。
すらりとした長身(指揮の謙=デイヴィッド・マズアが巨人なので目立ちませんでしたが)、
フレーズの終わりに弓を振り上げるしぐさなどは
見ていて何とも颯爽としており、「かっこええなあ」と。
演奏会では視覚的要素も大事だあねと改めて思ったりした次第です。
基本的に管弦楽作品に偏って聴いていて、ソロ演奏家の方面には見聞が狭いながら
かねがねピアニストで気にかけているのは小山実稚恵、ユリアンナ・アヴデーエワ、
そして辻井伸行と言ってきていましたですが、ヴァイオリンの方面では五嶋 龍に加えて
アラベラ・美歩・シュタインバッハーも、ちと気にかけておこうかなと思いましたですよ。
と、そんな演奏の後のいい気分で迎えたシューマンの交響曲第3番。
曲の出来不出来がとやかく言われるシューマンの交響曲ですけれど、
結局は尺の関係でしょう、あまり演奏されませんですね。
基本的には好物の部類なだけに楽しみにしていたところ、
「ライン」と呼ばれるニックネームが言い得て妙と思われる演奏であったような。
この「ライン」という呼ばれようはシューマン自身の命名ではないものの、
Wikipediaにはこのような記載がありました。
シューマンがライン川の川下りやそれを取り巻く環境に大いに触発され、その音楽もまた関連が深いことは間違いなく、第1楽章(ローレライ)、第2楽章(コブレンツからボン)、第3楽章(ボンからケルン)、第4楽章(ケルンの大聖堂)、第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)と関係が深くなっている。
作曲当時のシューマンが住まっていたデュッセルドルフあたり、
ライン川の川幅は広く、流量たっぷりですよね。
町に架かるオーバーカッセラー橋は全長614mにも及ぶのでして、
ちなみに隅田川を跨ぐ両国橋は164.5m、ライン川の大きさが想像されようというものです。
とまれ、たっぷりとした水量で滔々と流れる「父なるライン 」の諸相を
シューマンの描いた各楽章は豊かに描き出しているやに思うのですね。
そして、今回の演奏はライン川らしいたっぷり感を出しながらも重たくなりすぎず、
冒頭に言った「ほどほどの満腹感」とはこうした演奏のおかげであったわけなのでして。
演奏回のメインに位置づけられることの多い交響曲という分野で
30分そこそこという曲の長さはいささか取り上げにくいところでもありましょうけれど、
こうした演奏に接すると、シューマン、そしてメンデルスゾーンのシンフォニーも
もそっと演奏機会があってもいいだろうになあ…てなことも思ったりしたのでありました。