いやあ、どうもこじれるだけこじれてしまって…。

何かトラブルというでなく先日来の風邪のことでして、

よくまあこれだけ長くしゃっきりせんものだと逆に感心したりもするところでありますよ。


とはいえ長きにわたって何も書かないというのは、

それほどに具合が悪いというのでなく、さぼり癖というのはいとも簡単に付くものだと、

そういうことなのですなあ。書き始めてみればすらすらと…でもありませんですが。


養生に努めるといってただ横になっているのも飽きてきますと、本を読んだりTV(録画)を見たり。

そうした中で思いついたことあたりを、久しぶりの書き起こしにしようかと思いますけれど、

なんとなあく見た映画のひとつが「南から来た用心棒」というマカロニ・ウェスタン

外国映画を見始めの頃、TVの「何々ロードショー 」で西部劇 はよく放送されていたものですから、

懐かしく思ったりして、つい見てしまうのですよね。


南から来た用心棒 HDリマスター版 [Blu-ray]/アンドレア・ボシック


初めて見たときには面白いと思い、その記憶だけが残っていたところながら、

改めてみるとどうもそうではない。量産されたマカロニ・ウェスタンの一本なのだなあと。

結局のところ、印象の強い主題歌が全ての思い出を支配していたのかもしれませんですね。


それにしても、同じくマカロニ・ウェスタンとは言われるものの、

その嚆矢たる「荒野の用心棒」は面白かったなあと思い返すわけですが、

これは言わずと知れた黒沢明監督「用心棒」の焼き直しでありましたなあ。


というところで、本来の「用心棒」のことを思い返してみると、

シチュエーションを考えたときにむしろ黒沢作品の方が

西部劇からのリメイクなんじゃあないか…という錯覚も生ずるのでありますよ。


ひとつの宿場で敵対する勢力が向かい合って存在するということ、

そこへどこからか流れ者がたどりつくことで均衡状態が崩れるということ。

Wikipediaの映画「用心棒」の項目には、こんな記載がありますね。

「ある町にふらりと現れた主人公が、そこで対立する2つの組織に近づいて双方を欺き、最後には全滅させて去っていく」という、本作のようなアウトラインは、多少の違いはあるものの他の東宝映画にも見受けられる。

ですが、このアウトラインというのがそもそも「映画」というもので先行するアメリカゆずり、

西部劇ゆずりなんじゃあないかと思えたりしたのですなあ。

必ずしも敵対する勢力の間に入ってゆらゆらというのでなくしても、

流れ者が入ることでその場の微妙なバランスが崩れるという図において。

「シェーン」なんかもそうですね。


とはいえ、話をここまで持ってきてしまうと、ストーリー展開の手法としては

かなり古典的なやり方で、それこそアメリカだから、西部劇だからということに関わらない、

てなことにもなってきそうではありますが。


とまあ、昔の印象だけを大事にしておけばよかったものの、

再見していささか残念であった「南から来た用心棒」を見ながら、

しゃきっとするには途上のぼんやり感でもってそんなことを思ったのでありますよ。


ブログランキング・にほんブログ村へ