昔はTVのプライムタイムには映画番組がずらりと並んでいたという話この間しました折りに

TV東京では「午後のロードショー」なる番組があって、と申しました。

思い返してみますと、TV東京の前身である東京12チャンネル時代にも午後の時間帯に

映画番組を放送していたなあと。


でもって、そこにかかる映画作品というのが…。

夜の映画番組では「007シリーズ」などを始めとして話題作ずらりの印象でしたけれど、

それに対して午後の部は要するに「B級」作品がそれこそ目白押しだったような。

おそらく今はDVD化もされずに埋もれてしまったような作品を

そこでこそ見ることができたようにも思うところです。


その午後の時間帯の映画番組を何故子供の頃に見られたのか、

もしかしたら夏休みとか春休みとかだけだったのかもしれませんですが、

それこそ007まがいで量産されたB級スパイ映画などは

固いこと一切抜きで面白がってみていたように思います。


ところで、今の「午後のロードショー」もその系譜を引き継いでる気配はあるものの、

隠れたオールスターキャストなんつう映画も扱っているのですなあ。

たまたま見た「クイック&デッド」という、珍しくも90年代に作られた西部劇 には

シャロン・ストーン、ジーン・ハックマン、ラッセル・クロウ(若くて中途半端に細い…)、

レオナルド・ディカプリオ(子供でした)、ゲイリー・シニーズといった顔ぶれなのでありました。


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女性ガンマンのエレン(シャロン・ストーン)がたまたま流れ着いた(?)町で

「早撃ち大会」に参加することになってしまい、荒くれ者たちとガンファイトを展開する…

てなふうにまとめていきますと、いかにもB級丸出しなわけですが、顔ぶれはどうあれ、

紛うことなきB級でありますね。


実はここでこの話題を出しましたのは「クイック&デッド」という映画の

B級ぶりを論うためではありませんで、別の思いつきによるのでありますよ。


設定としてよくあるところですけれど、エレンが流れ着いた町というのが保安官不在で、

悪党のヘロッド(ジーン・ハックマン)が町の者たちから金を搾り取って名目上庇護している、

そんな町なのですよね。


ヘロッドにしてみれば「俺の町」であり、自分は町の王様でありといったところですが、

映画でも小説でもよく見られる支配構造に今さらながら「どうして?」と思ったわけです。

ヘロッドが町を牛耳っているけれど、なんだって牛耳りたくなってしまうのかいねえと。


ところで、「牛耳る」という言葉はご存知のように「牛耳を執る」から出たものですね。

「春秋左氏伝」から出た故事ですが、そも春秋時代とは紀元前8世紀~5世紀頃のことながら、

その頃から後に「牛耳る」として一般化する意味合いでとらえられていたとすれば、

ヒトの権力欲というのは持って生まれた「業」のようなものでもありましょうか。


この映画の中でのヘロッドは自分がいることで町はうまくいっていると思っているようですが、

要するに脅しによる恐怖政治なわけで、うまくいっているという感覚は

自己満足以外の何物でもない。


ところが、それを誰もがヘロッド様のおかげで安心して暮らせると思っているように

ヘロッドは考えてしまうのでしょうなあ。

表面的に町の毎日に波風が立っていないことが、

自分の支配は満足すべきものと思ってしまうところなのでしょう。


この辺の感覚のズレはなにがしかの権力(権限、権利といってもいいですが)を持つ立場に

立った場合にはありがちだからこそ、感覚を磨いておかなければならないのにと思いますね。


あ、こうした権力構造は全くもって、

この「クイック&デッド」なる映画に特有なものでもなんでもないですから、

例によって今さらながらではありますが、そんなようなことを思いつつ楽しんだ?

B級映画なのでありました。


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