これまた近所といえば近所だものですから、
立川の国文学研究資料館 を覗きに行ってみたのでありますよ。
現在は特別展示「伊勢物語のかがやき-鉄心斎文庫の世界-」が開催中でありまして。
基本的な「古文」が苦手な学生時代を送ったものですから、
日本の古典に関する知識はごくごく僅かではあるものの、
年古るに従って「和モノ」への興味が湧いてきたとは毎度お話しているとおり。
「伊勢物語」も教科書で「東下り」あたりを部分的にさらったくらいでしたですが、
少しは近づいてみようかと田辺聖子の現代語訳 を手に取ったりしたのは近年のこと。
それでもいっこうに近づけてない気がしているわけなのですけれど、
世の中には「伊勢物語」フリークというような方がおるようで。
今回の展示タイトルには「鉄心斎文庫の世界」とありますように、
ご夫妻でひたすらに「伊勢物語」に関する史料を収集しまくった方がおられ、
それが鉄心斎文庫だというのですね。
それに比べて「視野が広い」といえば聞こえはいいかもしれませんが、
いつまでたってもあっちもこっちもつまみ食い状態の我が身としては
「ほお~」と思ったりするところでありますよ。
と、それはともかく展示の話です。
平安時代初期に成立したとされる「伊勢物語」は当時から話題の読み物だったようですけれど、
これが鎌倉時代になりますと「和歌を詠むための典拠、つまり研究の対象となる古典文学」と
目されるようになっていったそうな。歌物語であることの面目躍如でありましょうか。
そうした中では「伊勢物語」に注釈を試みるということがさかんに行われ、
時代によって解釈が大きく異なることから古い順に「古注」、「旧注」、「新注」と
区分けられたりするようです。
「古注」は鎌倉時代の解釈で、「伊勢物語」に書かれた事柄は全て現実で、
それを比喩的に表現したと解釈するのだとか。
例えば「東下り」の部分などは在原業平が(東国へ下ったのではなくして)
京都・東山に籠ったことのたとえ話であると、現実的に?比喩を読み解いているようです。
室町中期にあらわれた「旧注」なる解釈では、むしろ本文をそのままに、素直に理解する方向。
ですが、当時の仏教意識に照らして、色好みの様子には否定的な見方であったそうな。
そして、「新注」は江戸中期の国学者から出てきたもので、
基本的に「伊勢物語はフィクションである」と捉える方向性なのだそうですよ。
現実にはシュリーマンがホメロスを読み解いたように(というたとえが適当かどうかですが)
全てありのままの実際とは言えないフィクションを含むものであるにせよ、
ときに比喩を用い、ときには現実を写し取りといったことが
ないまぜになってたりするのではありませんですかね。
ところで、長年にわたりかように解釈が試みられてきた「伊勢物語」が
常に変わらず人気作であったことは、その写本の多さでも分かるところかと。
もっとも文字数からすると、四百字詰め原稿用紙に置き換えれば「伊勢物語」は70枚ほど。
仮に「源氏物語」を同様に換算すると2500枚にはなるといいますから、わりと手軽に
「写してみよっかな」という気にさせる分量ではあったようですが。
展示にも数々の写本がありまして、研究者が着目するのとは全く違う観点でしょうけれど、
例えば細川幽斎 は古今集の奥義を伝授された人だけに写本の存在はなるほどながら、
一方で戦国武将でもありますからその筆致に「力、あるな」と思えるのもむべなるかな。
また、寛政の改革を推し進めた松平定信 の写本は、
豆本とまでは言わないまでもなんだってこんなに小さく作ったかと思われるものの、
質素倹約の旗振り役なればこそなのかなと思い至ったり。
ところで人気作となれば、そのパロディが出てくるのは世の倣いでもありましょうか。
展示解説で「日本文学史上、最も優れたパロディ文学」とされたのが「仁勢物語(にせものがたり)」。
何やら面白そうではありませんか。
17世紀は「パロディの世紀」とも言われるようで、
ことは「伊勢物語」に限った話ではないようですが、
江戸の文化の一端を窺い知る気がしたものでありますよ。

