先日のスカパー!無料の日に録画しておいた時代劇専門チャンネルの番組を見たのですね。
1995年にTV東京で放送されたという「侠客 幡隨院長兵衛」でありました。
歌舞伎を通じて(といっても見たことはありませんが)その名の知られた幡隨院長兵衛、
果たしてどんな物語であることかと思ったところ、先日読んだ山本周五郎「樅ノ木は残った」 の
フィクション性を思い出させるようでもありましたですよ。
基本的に伊達騒動の悪者とされる原田甲斐を「樅ノ木は残った」では
ひたすらに忠義の心を隠し通して実はお家のために動いた人物と描いて
史実としてありそうな話かどうかはともかくも、歴史に材をとってはいるも
そのことに寄りかからない小説作品に仕上げていたですね。
そして、今回見たドラマの原作は池波正太郎 。こちらはこちらで
最終的に殺し殺されることになる間柄の水野十郎左衛門と幡隨院長兵衛の若い頃を描いて
実は互いに心通わす友のような存在として描き、幡隨院長兵衛という侠客誕生の前日譚を
仕立て上げてあるという。
そもそも歌舞伎の物語がどれほど史実を反映しているかは分かりませんし、
それから離れた話を書いたとしてそれが史実を顧みないてなことを言っても詮無い話でありますね。
だからといって、完全に歴史から離れてしまうのもいかがなものかというところはありましょうから、
話の背景になる歴史的事実に改めて目を向けることになったりもするのでありますよ。
もっとも典型的な部分はといえば、時代背景となるのが寛永の頃(1624~1645)だということ。
関ヶ原が終わり、江戸に幕府が開かれ、全ての仕組みが治まったとはいえないながら、
もはや戦乱の時代には終止符が打たれた。
武士の台頭以降、常に争い含みでそれがあってこそ出番の武士が増え続けたわけですが、
武士本来の働きどころが姿を消してしまったわけです。
明治維新を迎えて武士の身の置き所がなくなり、
くすぶって暴発するひとつに西南戦争があったりしましたけれど、
もしかするとそれにも類する状況が江戸初期にはあったのではなかろうかと。
以前ドラマで見た荒木又右衛門の鍵屋の辻での仇討ち話 も
話を複雑にしていたのは旗本と外様大名の対抗心というか、旗本側の敵愾心でありましたし、
徳川直参というプライドが人一倍あるも、いっかな働きどころがないままにおかれ、
つまりはひと旗揚げる機会がないという状況。
いかにもカブキ者の姿で町へ出ては町人をなぶり者にしたりする「旗本奴」の登場は
ガス抜き行動的なところでもありましょうか。先の水野十郎左衛門はその代表格のようで。
そして対抗上というわけではないかもしれませんが、町人の側にも「町奴」たちが現われ、
こちらは「弱きを助け、強きを挫く」をモットーとする侠客となったりする。
後の博徒とは違う侠客なのですけれど。
ところで、フィクションを構築するときに
時代小説では仇討ちを入れ込むのは結構定番的なことなのでしょうかね。
前に読んだ山本周五郎の短編でも、また先日読んだ「恩讐の彼方に」でも仇討ちがらみ。
それはともかく、今回もうまく仕込んだ仇討ち話ながら敵は唐津藩主の寺沢堅高。
確かに嗣子がおらず寺沢家は改易となっていくのですけれど、
ここでは悪逆非道の君主としてその描かれようのひどいこと、ひどいこと。
旗本・水野十郎左衛門もこれを誅することに大義を見出し、侍の面目として
塚本伊太郎(後の幡隨院長兵衛)を手助けするわけですが、
このあたりになるとまた、先程ふれた旗本VS外様大名の構図に立ち戻りもしますが。
とまあ、なんだかんだと言っとりますが、
かつては見向きもしなかったドラマをよく見るようになったものだと我ながら思ったり。
果たしてこれが歳をとったから故ということなのかどうかはまかりませなんだ…。