以前から企画展のあるたびに気になる内容でありながら
ついぞ出向くに至っておらなかった東京・駒込の東洋文庫ミュージアムに
ようやっと足を運ぶことに。
現在開催中なのは「ロマノフ王朝展~日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本~」でありました。
今年2017年はロシア革命100周年、つうことは帝政ロシアの終焉、ロマノフ朝の終りから
100年という年回り故の企画ということであるようで。
ちなみに同館は基本的にライブラリーである東洋文庫の展示部門的なところですから、
まずはその膨大な蔵書を持つライブラリーらしい印象を伝えることから
展示スペースは始まっておりました。
床から高い天井まで壁を埋め尽くした本、本、本…。
かつて出かけたところで言えばロサンゼルス近郊にあるハンティントン・ライブラリーなんかを
思い出させる光景と言えましょうか。
というようなたくさんの蔵書の中から、約300年に及ぶロマノフ朝を振り返り、概観する折々に
関連する書籍を選び出すてなことで成り立っている展示でありますね。
それにしてもロシアのロマノフ朝とは、
奇しくも日本の江戸幕府の時代と同時期であったのだなと気付かされますなあ。
初代ミハイル・ロマノフの即位が1613年、そして最後の皇帝ニコライ2世が
ロシア革命により退位することになるのが1917年ですから、
江戸幕府の始まりより10年遅く、その終りよりは50年永らえたというところ。
この間にロシアは南へも、東へも拡張する政策を展開するわけで、
当然に東へ向かえば大陸の先には日本があるのですから、
江戸期の日本と関わることは必至となるわけですなあ。
そうなりますと、国立公文書館
で先日見た「漂流ものがたり
」という展示とも
内容的に関わるところが出てくるわけでして、紹介されていた史料にはこのようなものが。
これは「魯西亜国漂舶聞書(おろしやこくひょうはくききがき)」の一部ですけれど、
大黒屋光太夫と共にロシアで10年の月日を送った磯吉の証言を纏めたものとのこと。
光太夫の証言は先に国立公文書館で見た「北槎聞略」に纏められたわけですが、
同行の磯吉の証言を纏めたものも残されていたのですな。
挿絵に見えているいちばん上が、漂流7ヵ月の末にようやっと
アムチトカ島(アリューシャン列島の中ほど)にたどり着いたところ。
もちろん磯吉が自分で書いたのではなくって、磯吉の話を聞いて絵師が描いたわけですが、
磯吉の語りにも陸地が見えたうれしさがあふれていたことでしょう。
ですが、彼らの苦難はまだまだ続くのでありますが。
例えば真ん中の挿絵のようにラッコがたくさんいて、
それを獲りに来たロシア人の船で島から抜け出せるかと思えば、この船が難破…。
ようやくにしてシベリアに渡った後も、アブだかブヨだかに責め苛まれることしばしとは、
下の挿絵にもあるとおりです。
そんな自分たちがどこにいるのか分からないままに行動している光太夫一行ですが、
カムチャツカにたどりついたときにはレセップスというフランス人とでくわすのですな。
スエズ運河で有名なレセップスの甥ということですが、こちらのレセップスは
ラ・ペルーズの遠征航海(イギリスのクック船長らに負けてはおれんと
送り出されたフランスの遠征艦隊)に同行して地球を廻っていた人物。
帰仏後に出版した「レセップス旅行記」に光太夫彼らの遭難を書き記したことで
光太夫たちは本人たちの全く預かり知らないうちに欧州でも知られる人物となっていたのだそうで。
時は転じて、こちらは「ヘダ号」の進水式でありましょうか。
ペリー来航にやや遅れてロシアからはプチャーチン提督らがディアナ号に乗ってやってくる。
下田に入ったところが、安政大地震で船は大破してしまうのですな。
西伊豆の戸田 に回航して修理ということになるも、途中で沈没。
戸田村では日本人の船大工をはじめとする技術者がロシア人と協力して、
日本では今まで造られたことのない西洋型の船を造り上げ、これに感謝したロシア側は
船を「ヘダ号」と命名して、ロシアに帰っていった…といういいお話。
進水式とはこれまた喜びにあふれた瞬間でありますね。
…とまあ、個人的には博物館で見知ったことと関連したことしか触れてませんが、
展示の中ではロマノフ朝の主だった皇帝を取り上げてその時代をパネルで説明していたり。
ですが、ロマノフ朝の300年をたどるには雑駁に過ぎて、ちと残念な印象が。
取り上げるスパンが長過ぎるせいなのでしょうねえ、きっと。
その点、次回展は「安政大地震」を取り上げるそうなので、
そのくらいピンポイントな絞り込みだと「ほお~」度会いの高いものになるやもしれません。
取り敢えず、東洋文庫ミュージアムに初めて足を踏み入れることは叶ったのでありました。