息栖神社 の参拝を終えて、向かうは一路、鹿島神宮へ…なのですが、話としてはちと寄り道を。
そもそも銚子から鹿島神宮に向かう道筋は(息栖神社に立ち寄る分、ちと迂回はするものの)
基本的に国道124号線をひた走る形になるのですな。
これがまたひたすらに真っ直ぐな道でして、(ドライバーはいざ知らず)実に単調。
しかもその単調さに輪をかけるのが沿道の景色なのでありますよ。
もっとも見えるものの単調さという点ではすでに銚子に向かう道々
も同様だったわけですが、
いったい何のことを言っているのかと申しますれば、沿道に連なる店々のこと。
いわゆる郊外店と言われる大規模な店構えですけれど、(企業名こそ出さないものの)
紳士服量販店、家電量販店、ホームセンター、ドラッグストア、メガネ店…といったあたりが
数キロおきに塊となって表れる風景が繰り返されるのですなあ。
どうも日本の小売業はすっかり大規模店舗に取り込まれてしまっているのでは…と想像され、
地元のお店なぞは無きに等しい状況なのではと思えてくるのですね。
地域の自立は地域内で経済が回ることに立脚する部分があろうかと思うところながら、
これでは…と、南西ドイツ紀行
で見た町々のようすとの違いに思うを馳せるのでありますよ。
以前にもハンブルク
という大都市から電車でほんの30分のところにあるリューネブルク
が
小さいなりに町としての独自性を自負しているように思えたことと好対照でもあるわけで。
いささか逆説的にもなりますが、
こうした大型店舗の出店は町の商店を壊滅させるものである反面、
消費者にとっての利便性やら雇用の創出にも繋がっているのかなという点を考えると、
一概にどうのこうのは言えないのかも。ですが、それでも、やはり…。
と、東京モノがいえた義理ではないことをつらつら書いておりますが、
そんな印象を抱きつつ国道124号を車で行き過ぎながら、
実は昼食どころを探してもおったわけで。
その他の店舗の並びから想像がつくように、
数キロごとに東京でも名前の見受けられる飲食店が現われるものの、
旅の者にとっては住まい近くで食べられるものを旅先で食するのも詰まらないですよねえ。
ですが、そうした店をパスしながら進み、息栖神社にも立ち寄り…としているうちに、
このままでは鹿島神宮に到着してしまうのではないかと思えてきた矢先、
沿道に翻るのぼり旗を目ざとく見つけ、即座に決め手となったのぼり旗に染め抜かれた文字とは
「生しらす丼」だったのでありますよ。
店内に入って、メニューを見れば鹿島灘産であると書かれてある。
鮮度が命の生しらすだけに、念願の名産品にありつけるというわけですなあ。
お店の照明の関係もあり、写真では分からないですが、
目の前に出てきたときには、生しらすが「おお、青い!」と。
あたかもブルーハワイのかき氷のような色合いを示しておりましたよ。
大変な満足感に浸りつつ食した生しらす丼。
うまかったなぁと思い出しながら、これを書いているときに思い出したのが
「吾輩は猫である 」の吾輩君の語りでして。
海水浴の効能を人間が語るには今さらとばかりに吾輩君はこのように。
第一海水がなぜ薬になるかといえばちょっと海岸へ行けばすぐ分ることじゃないか。あんな広い所に魚が何匹おるかわからないが、あの魚が一匹も病気をして医者にかかったためしがない。みんな健全に泳いでいる。
とまあ、魚が海にいて医者に掛からないのだから、海が健康にいいのは当たり前と(笑)。
そんな元気な魚を好む猫族としては得々とした意見開陳なのですなあ。
吾輩君のご意見はともかくとも、魚を旨いと感じるDNAが日本人にはあるのかも。
ファミレスあたりで妥協せずに本当に良かったと思う昼食なのでありました。