録画しっぱなしになっていたNHK土曜ドラマ「夏目漱石 の妻」を見ていたですが、
高浜虚子の申し出に応じて書いた「吾輩は猫である」の原稿を読みながら

大笑いをする漱石と虚子、そしてふすま越しに聴いていた妻の鏡子もまた大笑いするシーンが

ありましたですな。


ロンドン留学中からも「そも文学とは何ぞや?」という問いに嵌り込んだ漱石は
精神に変調を来たしてしまい、帰国後の妻や子供との関係も

いわゆる普通の家庭生活とは異なって、破綻寸前まで行っていたのではなかろうかと。


ドラマではその辺も描かれていたですが、

上に引いたエピソードを見る限り、相当な改善があったと思えてきますようね。


世に「アニマルセラピー」なる言葉があるようで、
動物とのふれあいが精神安定につながるといったことを言うそうですけれど、
やはりNHKで放送されたドラマ「水族館ガール」でも「イルカセラピー」が紹介されてましたっけ。


そうしたことから考えますと、結果的にもせよ、漱石にとっては
「猫セラピー」が効果を発揮したということができるのかもしれませんですね。


もともとは猫嫌いであったという妻の鏡子は
何故かしら夏目家に居つくようになってしまった黒猫を何度もつまみ出していたようですが、
漱石のマッサージをしに来ていた按摩が「これは福猫」と見立てるや、
猫まんまの提供を始めるといった変わりよう。


ま、このあたりはまだまだ迷信深い明治のことだからでしょうけれど、
鏡子がいくらつまみ出しても戻ってくるようすに「それならおいてやったらいい」という
漱石のつぶやきに感じるところもあったのではなかろうかと思うところです。


これまた何故かしらですが、漱石は猫を気に入り、猫もまた漱石のそばにいる。
この何でもないふれあいが漱石の心にゆとりと落ち着きをもたらしたのでしょうか、
そうでなければ「雑誌『ホトトギス』に何か書いてほしい」という虚子の申し出を
漱石は受けられる心理状況にはなれなかったでしょうし。


詰まるところ、猫のおかげで原稿執筆の依頼に応じることができ、
しかもその原稿の主人公は猫であったとはまさに「猫、さまさま」ではありませんか。


もひとつ、猫がらみの話では

後に修善寺 で大吐血をした漱石を鏡子が見舞う際に見立てを頼った祈祷師から

「どこからか黒猫が現われて、血を吐いて死んだ」と聞かされた鏡子は
その黒猫が漱石の身替りになってくれたと信じたのだそうでありますよ。


「吾輩」の主人公となった猫が死んでしまった後も、
夫妻は爪まで真っ黒な猫を探しては飼った…ということですし、
元は猫嫌いであった鏡子も猫への思いは事の外であったということですかね。


ところで冒頭で触れたドラマのワン・シーンですけれど、そのときに思ったのは
「吾輩は猫である」ってそれほどに大笑いするような話だったかな…ということ。
ちょうど角川文庫版「吾輩は猫である」が手元にあったものですから、
久しぶりに読んでみることにしたのですよ。


吾輩は猫である (角川文庫)/夏目 漱石


ちなみにこの文庫は東京メトロの企画で行われたスタンプラリー
「文豪たちの東京めぐり 夏目漱石編」で漱石ゆかりの地を廻って
応募してみたら当たったという賞品なのですな。
ようやっと機会を得て頁を繰ることになったわけです。


で、結局のところ読んでみてどうであったか…ですが、
時代が違うせいなのかもしれませんけれど、どうも大笑いするてなことではないような。


もっぱら風刺と思えることが多いですから、

笑いの方もくすりと笑うというか、時には失笑というか、そんな感じでしょうか。


ただ時代が違うといっても描かれている登場人物たちはそれぞれに、
「ああこういう人、今もいるよね」とか「あの人ならこういうこと、しそうだぁね」とか
読みながら思うことしばし。観察眼は大したものであるなあと改めて。


後の漱石の小説とは趣きの異なるものではありますけれど、
出発点がここにあると思えば、感慨は深くなるというものです。
思いのほか長い小説だったのだなとも思いつつ、久しぶりに堪能した「猫」でありました。


そうそう、かつてスタンプラリーの折にも訪ねた早稲田の漱石公園には
今年2017年の9月に漱石山房記念館が開館予定とのこと。楽しみですなあ。


ブログランキング・にほんブログ村へ