福島の浜通り
を見て回ったことは先に書いたとおりですけれど、
せっかく福島に行ったついでですから地域振興の意味でも少々彼の地で散財をと
最後に温泉で一泊してきたのでありますよ。
浜通り周回の旅の発着点であった福島駅から移動しやすいということで、
飯坂温泉に初めて足を踏み入れてみたのでして。
福島交通飯坂線という非常にローカルな私鉄で飯坂温泉駅に向かいますが、
温泉目当ての観光客の利用よりも地元民御用達的なのんびり感がありました。
福島駅から30分弱で飯坂温泉駅に到着したときには、すっかり宵闇迫ればという頃合い。
駅の横すぐを摺上川(すりかみがわ)が流れ、ここに掛かる十綱橋(とつなばし)は
1915年(大正4年)完成のアーチがライトアップされて、レトロな風情を湛えておりました。
というところで、やおら一夜明けてとなりますが、
到着したときには夕暮れでぼんやりしていて判然としなかった駅前の碑や像は
果たしてこういうものであったのかとようやく分かりました。まずはこれです。
「いったい何?」という形ですが、「日本最初のラジウム発見の地」碑であります。
日本の温泉療法に貢献したベルツ博士
にも教えを受けた眞鍋嘉一郎という後の東大教授が
日本で初めてラジウム泉を、ここ飯坂で発見したことを記念するもので、
形はその後飯坂の名物となったこれとの関係でありましょうね。
一般に温泉玉子と呼ばれるものを飯坂では「ラジウム玉子」と言っている。
かほどに飯坂はラジウム押しなわけですけれど、よおく考えればラジウムも放射性物質。
もちろん浜通りを脅かす原発関係の放射能とは別物であるにせよ、
中通りではラジウム泉は別名、放射能泉とも言われて温浴効果が得られている。
科学オンチにはついていきにくいところでもありますね。
ところで「ラジウム発見」碑のお隣には旅姿の人物像が立っておりまして、
「奥の細道」を行く松尾芭蕉は飯坂に立ち寄っているということなんですが、
あんまり知られていないような。
「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」という句を残していますけれど、
義経絡みのエピソード(この話はまたあとで)を知らないと、
他の場所で詠んだ句よりもすっと入ってこないような。
飯坂立ち寄りが知られていないのはそうしたことも関係してましょうかね。
とまれ、そうした駅前から温泉街の方へと足を進めますと、
またしても芭蕉ゆかりの案内が。「芭蕉と曽良 入浴の地」とあります。
当時の源泉に近い場所だったということになりましょうか。ですが「奥の細道」からは
飯坂(芭蕉は飯塚と記載)での一夜が散々なものであったことが偲ばれるのですね。
其夜、飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり(漏り)、蚤、蚊にせゝられて眠らず。持病さへおこりて、消入斗にならん。
元禄二年(1689年)当時の飯坂は確かに湯は沸き出でるもまともな宿もない状態だったようで。
そうした名残りというわけではありませんが、芭蕉入浴の地のほど近くには
「鯖湖湯」という共同浴場がありました(今は辺りに湯宿もたくさんありますが)。
ちなみに「鯖湖(さばこ)」とは飯坂の古名とも言われているようですけれど、
何でも日本武尊東征の折(とはずいぶんとまた古い由緒ということなりますが)に
病に伏したが佐波子(さばこ)の湯に浸かったところたちまちにして平癒したとの
いわれがあるというのですなあ。
こうした由緒からも飯坂は東北三名湯のひとつとされて、
鳴子、秋保と並び称される…ようなんですが、どうも後二者には水を開けられているようにも。
全体的にいささかの斜陽感が漂っていて、射的屋さんがあったりするのも昔懐かし的というか。
(どうやら昼間は野菜を売ってるみたいですが…)。
もとよりいささか福島に肩入れしたいような気になっている上に、
こうした雰囲気に接するにつけ「がんばれ福島、がんばれ飯坂!」と言いたくなる気も。
ですので、周辺で立ち寄った観光スポットをも少し触れていこうと思っておる次第でございます。