東京・汐留の旧新橋停車場鉄道歴史展示室 に通りすがり、
「海を航る-船・鉄道・新幹線-」という企画展をやっていましたので立ち寄ることに。
北海道新幹線開業の記念展なのだそうで。


北海道新幹線開業記念展「海を航る-船・鉄道・新幹線-」@旧新橋停車場鉄道歴史展示室


「海を航る」といって「船」、「鉄道」と来たときに
普通に考えれば「飛行機」と続くような気がしますが、そこはそれ、
JR東日本関連の財団主催とあっては飛行機は宿敵ですものねえ。


また、鉄道が海を越えるのは青函トンネルばかりでなくして、
瀬戸大橋もあるわけながら、こちらはJR西日本やJR四国にお任せということでしょうか。


ということで「津軽海峡を渡る鉄道の歴史を振り返る」展示は
青函連絡船に始まって青函トンネルへと続くのでありました。


青函連絡船といえば、個人的な思い出話で以前にも触れたことがあるような気がしますが、
青函トンネルの開業に合わせて廃止されると聞き及び、前の年の夏休みに慌てて乗りに行った。
これが初めて北海道の地を踏んだときであったなあと。


上野駅から夜行急行「八甲田」で青森へ、青函連絡船に乗り継いで函館へ。
夜立って翌日昼くらいに到着したわけですけれど、今なら北海道新幹線で
東京駅から新函館北斗駅まで4時間くらいですか。速くなったものでありますね。
(もっとも飛行機のことは措いていてですが)


とまれ、そんなふうに旅客輸送の側面でつい考えてしまう青函連絡船ながら、
1908年(明治41年)の運航開始からメインは貨物輸送にあったのだそうですなあ。


今でもイタリア半島とシチリア島を隔てるメッシナ海峡を渡るフェリーは
列車をそのまま船腹に飲み込んで対岸に渡していますけれど、
かつて青函連絡船もそのようにして本州・北海道間で大量の貨物を輸送していたと。


最大の渡島丸型という船では、何と!貨車を55両積載可能であったと言いますから、
なかなかの壮観だったのではないですかね。


されど、戦時中には空襲の標的されたりしたこともあったのか、
本州と北海道をトンネルで繋ぐという構想の最初は戦後すぐの1946年からあったようで。


地質調査 をして津軽海峡ルートが良かろうとなってきたところで、
1953年にはこのルートが鉄道敷設法に追加されて、本格調査を開始。

そんな折も折りの1954年、台風による洞爺丸の沈没事故が起こり、
トンネル実現への望みが加速したのではなかろうかと。


1963年に着工、20余年の難工事を経て1985年に本坑貫通、
そして1988年3月13日に開業を迎え、いよいよ本州と北海道は地続き(?)になった。
その同じ日に摩周丸は最後の航海を終えて、

青函連絡船80年の歴史に幕が下ろされたのですな。


展示室内のビデオで、摩周丸終航のようすを見ることができますけれど、
確かに廃止の前に乗りに行くという挙には出たものの、
それほどに大きな思い入れがあったわけでもない者にとってさえ、
ひと時代のお終いといった感慨にとらわれたりする映像でありましたですよ。


ところで先には触れたメッシナ海峡ですが、
ここに大橋を架けようという話が浮上したり、頓挫したりであるそうな。
工事の難しさや莫大な費用が問題になるとは想像されるも、
かりに完成したとしたら観光的な側面での経済効果はかなり大きいような気がします。

何しろ橋は眺めがいいですものね。

その点はトンネルのいささか残念なところでもありましょうし、
北海道新幹線に観光要素の楽しみをもひとつ付加できないところでもありましょう。


もっとも、鉄道しか通れない青函トンネルが
今でも本州・北海道間の貨物輸送の大きな担い手と機能しているのであれば、
そっちの面では問題なし。貨物は景色を見ませんものね。


ブログランキング・にほんブログ村へ