旧新橋停車場鉄道歴史展示室
でまた新しい企画展が始まったということですので、
通り掛かりついでに立ち寄ってみたのでありますよ。
「ボルティモア&オハイオ鉄道博物館展」とあったものですから、
てっきり同館の所蔵物が引越し展示されるのかとも思いましたけれど、
200両もの車両が保存されているアメリカ有数の鉄道博物館となれば、
この展示室のわずかなスペースでは写真パネルによる博物館そのものや
展示物に関する紹介に留まるのは止むを得ないことでありましょうねえ。
元々は、1828年にアメリカ初として開業されたボルティモア&オハイオ鉄道で使われていた
駅舎や付属施設などを再利用して博物館が作られたそうでして、
メリーランド州ボルティモアに所在しているという。
想像の及ぶ範囲内として、
ボルティモア&オハイオ鉄道とは(八高線が八王子
と高崎
を結ぶように)
ボルティモアとオハイオ州のどこかを結んでいるのであろうなと思うところながら、
行き先はウエストバージニア州のホイーリングであったそうな。
目の前のオハイオ川を渡ればオハイオ州ですので、もう一息ともいえそうですが、
これを越える鉄橋を作ったりできるようになるのはもそっと先の話なのでしょう。
そして、当時は大量の荷物を船に乗せ、川や運河を運んでいたでしょうから、
ボルティモアという海の港からホイーリングというオハイオ川の港までを鉄路で繋ぐことの意味は
大きかったのでありましょうね。
ただ、ホイーリングまで開通したのは後々のことであって、
1830年からの25年間に線路の敷設距離が30倍強(21kmから661kmへ)に伸びていく中で
実現したこと。
当初は懐疑的であった向きも、いざ鉄道の輸送力を目の当たりにすると延伸への期待が
加速度的に高まっていったのではなかろうかと。
ところで、この鉄道の輸送力なるものがフルに活用されたのが
南北戦争(1861-65)であったそうな。
近代戦は南北戦争に始まると言われる所以でもありましょう。
何につけ続々と物資、兵員が送られるとなれば、物量戦であり、総力戦になってくるでしょうから。
ですが、ちと思い出してみれば先に読んだ「戦争指揮官リンカーン
」には
こんな記載がありましたですね。
…補給基地を建設するために関係する業界は、莫大な特需の恩恵をさずかったはずである。兵器、鉄道、橋梁、道路、食糧、医療、そのほか軍用の衣食住のさまざまな業界が恩恵を受けた。…業界と軍部のあいだに発注受注の暗躍がうずまき、腐敗の温床が生まれた。産軍癒着という構図は、この時代に本格化したと考えられる。当時すでに、特殊の業界や企業が莫大の利益をあげるために南北戦争を長引かせているのではないかという批判の声があがっている。
こうした点でも、従来の戦争とはかなり違う面を見せたのが南北戦争であったろうと。
ちなみにボルティモア&オハイオ鉄道の社長ジョン・ギャレットは
心中、南部寄りでありながら、鉄道の方は北軍に全面協力したそうな。
割り切って「勝ち馬に乗る」という才長けたところがあったのやもしれませんが、
こうした割り切って商売に徹する考え方はともすると先ほどの引用のように
戦争を長引かせることさえしかねない…というところに繋がっていくようにも思えますね。
一方で、アメリカ大陸横断鉄道の建設は南北戦争中の1863年に始まりますけれど、
日本では「線路は続くよどこまでも」として知られる歌は、
この鉄道敷設の現場で働いていたアイルランド系工夫が歌った労働歌だったそうで。
オリジナルタイトルが「 I've Been Working on the Railroad」とはまさに!でありまして、
とても「楽しい旅の夢、つないでる~」状態ではない。
おそらくはツルハシなんかを振るうのにしっくりくるように、
かなりのスローテンポで歌われていたのではなかろうかと。
と、気がつけばすっかり「ボルティモア&オハイオ鉄道博物館展」の話でなくなってしまってますが、
同館に保存された200両の車両の中には蒸気機関車もたくさんありまして、
その中の「B&O No.25」、通称「ウィリアム・メイソン」(設計者の名前)と呼ばれるのが
上のフライヤーを飾っている機関車で、映画「ワイルド・ワイルド・ウエスト」で爆走するはこれだそうで。
(実際の「ウィリアム・メイソン」は北軍の兵員輸送でずいぶんと使用されたようです)
本展の一部にはボルティモア市への誘いといったふうな展示がありましたですが、
一度は行きたいボルティモア美術館とも絡めて鉄道博物館にもと思ってしまうところながら、
いささか物騒なふうであるのがどうも…。
だいたい治安の悪さで全米ワースト10には入るようで。
かつてはニューヨーク もロサンゼルスも
危うさ満載だったところが様変わりということもありますから、
いつぞやはと思ったりもしますが、当分は様子見ですなあ。