立ち寄るたび、それなりに面白い企画展をやっている旧新橋停車場鉄道歴史展示室
現在は「駅弁むかし物語」という展示が行われておりましたですよ。


「駅弁むかし物語」@旧新橋停車場鉄道歴史展示室


そも「駅弁」の始まりは、明治18年(1885年)7月に宇都宮駅で販売された…というのが
通説であるそうな(通説というからには、異説もあるのでしょうなあ)。


それに従いますと「駅弁」は発売以来130年を超える歴史があるわけで、
昨今TVの食べ物屋さん紹介では戦後(1945年以降)に開店した店でも
「老舗」なんつう言葉を使ったりするケースがある中、本当に大した老舗ということになろうかと。
実際、現在に続く駅弁業者の7割ほどが創業100年以上だといいますし。


当初は握り飯二つにたくあんふた切れ、これを竹の皮に包んだものであったそうですが、
宇都宮駅の駅弁業者(明治26年創業らしいので、オリジナルの販売元ではないのでしょう)が

当時を模した「滊車辨當」なるものを販売しているようで。


そんな素朴な形で始まった「駅弁」は明治20年代には今に続く折り箱タイプのものが出回り、
ひと頃は駅弁と当然のように併せて売られたお茶の販売が、

いかにも茶どころらしく静岡駅で明治22年に登場したそうでありますよ。


ご当地ものを競うというところもあって、旅の友として人気を得ていったのでしょうね、

明治28年になりますと、列車の時刻表に駅弁の買える駅であるかどうかを

記載するようになっていったと。


一方、駅での物売りは鉄道局の許認可が必要であったそうなんですが、
同じく明治28年の「停車場内営業命令書」には「販売品の内容、価格」はもとより、
「販売方法、売り子の人数、服装」などまで届け出てなければならなかったようで。


また、規則という点では明治39年(1906年)の「鉄道規則」に、
「駅弁」の掛け紙には駅付近の名所・旅客案内などを印刷するよう指定されていたのは、
お客の利便性を考慮したのかどうか(駅弁購入駅で下車する可能性は低い気がしますが…)。


ともかく、細かな取り決めが多々あったのですなあ。

弁当業者はこれに従いませんと「営業停止!」てなことにもなりかねず、

遵守したでしょうけれど、規則を守らないのはむしろ乗客の方だったようで。

三四郎は思い出したように前の停車場で買った弁当を食いだした。車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。
三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている。
女はやがて帰って来た。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもうしまいがけである。下を向いて一生懸命に箸を突っ込んで二口三口ほおばったが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思って、ひょいと目を上げて見るとやっぱり正面に立っていた。
しかし三四郎が目を上げると同時に女は動きだした。ただ三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべきところを、すぐと前へ来て、からだを横へ向けて、窓から首を出して、静かに外をながめだした。風が強くあたって、鬢がふわふわするところが三四郎の目にはいった。
この時三四郎はからになった弁当の折
を力いっぱいに窓からほうり出した。

ちといい場面?なので、引用が長めになりましたけれど、夏目漱石 「三四郎」の一節です。
状況分析はここの話とは無縁なので措いておくとして、

三四郎は何のためらうこともなく弁当ガラを車窓から放り捨てている。

こんなことを新聞連載小説に書いたら、真似する人が続出するのでは…と心配するまでもなく、
すでに同様のことをする乗客が数多いたようなのでありますなあ。当然に規則破りでしょう。


もちろん弁当ガラと同時に、飲み終わったお茶の容器も捨てられるわけですが、
個人的には駅で買うお茶と聞けばポリ容器を思い浮かべるところながら、これが登場する以前、
駅売りのお茶は小さな土瓶(陶器)に入っていたといいます。
窓から投げ捨てるのはかなり危険な行為であったことになりますね。


さすがに途中で捨てるのは憚られるも持って返るのは面倒となると、終着駅で捨てることに。
本展会場となっている旧新橋駅の発掘に当たっても、

益子焼、信楽焼、常滑焼、瀬戸焼、美濃焼…と大量の土瓶が出土したどうでありますよ。
日本の「使い捨て文化」のはしりとも目されるようで。


とまれ、そんな「駅弁」に変化が生じたのは昭和39年(1964年)の10月、東海道新幹線の開業時。
新幹線専用ホームには売店が設けられ、立売りが不可になったのですな。


在来線では昭和40~50年代には特急の増発(急行列車はどんどん消えていった)によって、
停車駅は限られるようになり、また停車時間も短縮されていく中では、
もはや駅弁の立売りは成り立たないようになっていったという。


立売りの呼び声が旅の風情であった時代は過ぎ去りましたですが、
「駅弁」そのものの人気は相変わらずのようでありますね。

小林稔侍主演の2時間ドラマシリーズに「駅弁刑事」なんつうのがあって、
レアもの駅弁を買いに走る主人公をキャラクターとしているのがあるくらいですし。


…とふと考えてみれば、「駅弁」は使い捨て文化を生んだというその反面で、
マニアを生み、マニアがいればコレクションがあることになり、
捨てるどころか溜め込む人たちもまた作り出したことでありましょうね。


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