タワーの文化史 」をこの間読み終えたばかりですが、そうしたタイミングで

「NY2つの摩天楼」という番組がナショナル・ジオグラフィック・チャンネルにあったものですから、

ついつい見てしまいましたですよ。


ニューヨークの2つの摩天楼と言いますのは、

ひとつは「9.11」の結果としてアメリカで一番高いビルに返り咲いたエンパイア・ステート・ビル、

そしてもうひとつは「グラウンド・ゼロ」に建設中のワン・ワールド・トレード・センター(1WTC)のこと。


1WTCは2014年オープン予定とのことですけれど、

これによってエンパイア・ステート・ビルは暫定1位を返上することになるようです。

一方で、1WTCの方ですが、当初目指した世界一がブルジュ・ハリファに先を越されたことで、

むしろアメリカ独立年に肖った1776フィート(約541m)という象徴的な高さで

印象に残ることになりそうですね。


番組の中では、2つのビルの現場を行ったり来たりしながら

建設の過程が紹介されたりしてましたが、エンパイア・ステート・ビルで作業現場にいた人たちの孫の代が1WTCの現場で同じような作業に従事している点は興味深いなと。


「じいちゃんがエンパイアステートビルを建てたんだ。だから、オレは1WTCを建てるのさ」

てな感じ。


こうした点だけでとやかく言うのは間違いの元かもしれませんが、

親子孫と家業ともいうべき職業が継承されるというのは、

もはや日本では極めて稀なことのように思えますですね。


それだけ上の世代が自分の仕事の誇りを語らず(そもそも誇りをもってるか?ですが…)、

またいわゆるガテン系の仕事(ものにもよりましょうけれど)を低く見たりする傾向があるからでも

ありましょうか。


ドイツのマイスター制度のように

昔からの職人の技を一目も二目も置かれるものと受け止める形があるのではないでしょうけど、

アメリカでも仕事ごとの矜持がきちんと語り継がれていくようにはなっているのではないですかね。


ところで、エンパイア・ステート・ビルの完成は1931年と、

先に触れたときにはさらりと流してしまいましたが、

1929年に始まる世界大恐慌の最中に建設されていたのだなと改めて。


番組では、命綱もつけないままに高所で作業する人々のようすを映しながら、

地上では「誰かが落ちるのではないか」と見上げる人たちがたくさんいたことを紹介します。


これが「あ~あ、あぶねえなぁ」と見上げているならまだしもですが、

「誰かが落ちれば、代わりに職にありつけるかも」という失業者たちであったのだとか。

誰しも想像がつく危険な作業だけに、賃金もよく、ある種羨望のまとであったのかもです。


ほとんどは移民であったという彼ら作業者にとって、

「自分が建てているビルは世界一の高さになるんだそうだ」となれば、

家族に対しても「どうだ、とうちゃん、すげえだろ!」と自慢できると同時に

アメリカ市民として生きて行く自信にもつながったかもしれませんですね。


こうした意識が後押ししたのか、

エンパイア・ステート・ビルは予定よりも早い13カ月ほどで完成することができたそうですが、

一方の1WTCは安全対策をたっぷりと考慮して進められているようです。


安全対策のあまり竣工予定をどんどん先延ばしできるということで、

作業中も安全に、そして出来上がったビルも安全なビルという意味で。


現場担当者の一人は

「NYに何かあったら、このビルの地下に逃げますね、一番安全だから」

と言ってましたけれど、何かあったらと想像する「何か」があるということ自体が

どうなんだろうなかと思わないではないですよね。


個人的に記憶に残るのは、WTC倒壊後3年目に訪れたときのグラウンドゼロの、

いまだ周囲のビルに焼け跡が残るような姿ですけれど、

「何か」があってはいけないと思うだけなら誰でもできること…で終わってしまいましょうか。


その2年後に行ったときにはすっかり片づけられたふうでしたが、

それ以来行っていないニューヨーク。

1WTCがオープンしたら、久しぶり行ってみるかなと思ったりもしたでありました。