と、南西ドイツ紀行のお話も始めたところながら、未だ南信州紀行が終結しておらず…。
今しばらくはこっちの話もあっちの話もということになりそうです。
JR中央本線の、中央東線と中央西線の結節点である塩尻から木曽路を南下して、
奈良井宿 、妻籠宿 、馬籠宿 を訪ね、ちょいと岐阜県に入り込んで恵那峡 も覗いてみました。
と、このままの延長線上をたどって中山道を美濃路、近江路と行ってしまっては
「南信州紀行」の看板に偽りありとなってしまいますので、
全長8kmを超える長大な恵那山トンネルを抜けて、木曽谷から伊那谷へと抜けることに。
たどり着いたのは天竜峡でありました。
木曽谷を流れているのが木曽川ならば、伊那谷を下るのは天竜川。
先に訪ねた恵那峡が一見したところでは湖にしか見えないのにくらべて、
こちらはいかにもな渓谷でありますね。
JR飯田線・天竜峡駅の左手(東側)にある橋から眺めるとこんな感じですが、
そのいかにもなところに「天竜ライン下り」なる看板が見え、
これはこれで恵那峡の遊覧船とは違う風情でもあろうかと両親はすでに乗るつもりに。
ちょうど下り終えて戻ってきた舟を見れば、気分も盛り上がろうというもので。
ということで、名前からするとよほど大きな船でもあろうかと
思ってしまいそうな「アルプス丸」に乗り込んで、いざ出発。
しかし、安全のためとはいえ着用が求められる救命胴衣は暑い中ではしんどいですなあ。
2011年には今回乗った天竜峡駅近くから下るコースよりももそっと下流の方で、
また2003年にはもそっと上流の方で転覆事故が起こったりしたことの教訓でしょうかね。
いずれも急流下りの醍醐味!みたいなことを売りにしていたことも関係しておりましょうけれど、
そのいずれとも異なって「天竜ライン下り」と銘打ったこの舟下りは
ほんの時たま白い波頭が立つ早瀬を抜けることはあるも、
実に実にのんびりしたものでありましたよ。
そんなゆるぅい舟下りの中では顧客サービスの一環として同乗しているガイドさんが民謡を、
そして昔々に流行ったご当地ソング的な流行歌を歌ってくれたりするのですなあ。
ある程度の年齢の方ならご存知かもしれませんですね、「勘太郎月夜唄」というもの。
♪影か柳か勘太郎さんかぁ~という歌い出しで、♪伊那は七谷、糸引く煙り~と続きますが、
ここで初めてこの歌は伊那のご当地ソングだったのだねと気付かされたのですけれど。
さらには船頭さん自らも投網を投げ入れて見せるというパフォーマンスを。
これを引き上げて魚の一匹でも掛かっていれば見ものだったところながら、
如何せんそんなパフォーマンスに魚が付き合ってくれるものではないようで…。
とまあ、そんなこんなののんびり気分で50分ほどでしたでしょうか、下船場所に到着。
川辺から岩壁のへりを登っていきますと、目の前にはJR飯田線の唐笠駅が。
復路の足は考えられているということですな。
これがまあ実に見事な無人駅でして、
天竜ライン下りのお客以外にこの駅から乗る人はほとんど無しなのではと想像されます。
これは駅の先の高台で天竜川を跨ぐ橋から見下ろした図ですけれど、
右手中ほどに辛うじて駅のホームが見えていようかと。
ちなみにこの橋というのが「長瀞橋」という名前で、ここから眺める限り、
天竜川でもなおのこと流れの緩やかなところなのでありましょうね。
そうこうするうちに、同船していた人たちが今か今かと待ち望んだ飯田線がやってきました。
これを逃すと2時間待たねばならないと乗船時に釘をさされていたこともあり、
長瀞橋まで往復したのは自分を含めて2~3人しかいなかったですなあ。
とまれ、そんなふうにJR天竜峡駅まで戻ってきたですが、
駅のホームにあった「天竜ライン下り」の宣伝人形にはやはり触れておきたいところだなと。
さすがに「ライン下り」というだけあって、船頭さんもガイドさんも外人なんだ…
と思う観光客もおらないとは思いますが、こんなマネキン人形を使ってしまうあたり、
観光地のおおらかさを感じさせるといいますか、そんな天竜峡でありましたことよ。