南信州紀行 恵那峡編

テーマ:

馬籠宿 は中山道で信州最後の宿場町。

越して歩けば美濃国に入るわけですな。
美濃といえば今の岐阜県にあたりますけれど、

実はこれまで岐阜県の土を一度も踏んだことがなかったという。


もちろん東海道新幹線で通過したことはありますが、岐阜県内に立ち寄ったことが全く無い。

日本全国47都道府県のうち未踏の地が9県ほど残っていましたですが、
このほどいよいよもって岐阜の地を踏んだことで残り8県となりましたですよ。


とまれ、馬籠宿を訪ねて岐阜県を目の前にし、入り込まない手はない。
そして妻籠宿 、馬籠宿と訪ねたこの日のあまりの暑さに耐えかねて水辺が恋しい。
てなことから、さしたる考えもなく恵那峡を目指したのでありました。
(つうことは南信州紀行の看板に偽りありとなりますが…)


この「さしたる考えもなく」というのが浅墓なところでして、
恵那峡というからには当然に峡谷であって、清冽な水の流れに手でも浸して川風にでも当たれば
さぞや涼しかろうと想像しておったわけですが、はっきり言って湖のようではありませんか。


恵那峡


遠くの方に目を凝らせば、ずうっと堰堤に囲われている…ということは
恵那峡とはダム湖、人造湖だったのですなあ。


大井ダム


それも日本で初めてのダム式水力発電所が建設されたのが、この大井ダム。
時に大正13年(1924年)、手掛けたのは福沢桃介でこのエリアは結構「桃介押し」になっているのが、
近くの店先のポスターからも想像されるところではないかと。


電力王・福沢桃介


ポスターにある紹介文をちと引用しておくとしますか。

福沢桃介(1868~1938)は、埼玉県出身の実業家・政治家。貧しい幼少時代を過ごしながらも神童ぶりを発揮し、長じて慶応義塾に入塾。その後、福沢諭吉の婿養子になりました。実業家として数々の電力事業をてがけた彼は、わが国初の本格的ダム式水力発電所、大井ダムを建設。その後も着々と電源開発を続け、いつしか「電力王」とまで呼ばれるようになりました。日本初の女優といわれる、川上貞奴(1871~1946)の伴侶としても有名です。

木曽川流域にたくさんの発電施設を設けた桃介ですけれど、
木曽節(実は普通知られているより遥かに長い歌詞があるのだとか)の中に
「男伊達ならこの木曽川の流れくる水止めて見ろ」てな部分があるほど急流であった木曽川だけに
明治男としては「やったるけんね!」と腕まくりをしたのかもしれませんなあ。


てなところで、同行の両親にひと休みしてもらうのも兼ねて
遊覧船でダム湖の手前、峡谷らしい風景を眺めに出たのでありました。


恵那峡めぐりのジェット船


オープンエアの船の方が涼しいでしょうし、写真も撮りやすいのでよかったんですが、
贅沢は言えませんな。当然に船内には冷房が効いていて、それを享受したわけですし。


それはともかく、こうした峡谷、渓谷には岩峰が屹立していたりする様がよく見られて、
いかにもそれらしく岩に命名していたりするケースがありますが、恵那峡もまた然り。


獅子岩@恵那峡 屏風岩@恵那峡


獅子岩(左上)に屏風岩(右上)、そして名前は忘れてしまいましたですが、
下の写真のように見た目にかなりリスキーな状態にあるようにも思われる岩まで。

上にのっかってる岩の下に空洞が見えますよね…。


恵那峡のリスキーな奇岩


とまあ、そんなこんなの奇岩を見ながらのひと巡り。

思ったほど自然の涼風に吹かれるでも、景観に圧倒されるでもありませんでしたけれど、

ここを訪ねたことでもって明治の電源開発がいささか気になってきた…という恵那峡なのでありました。


ブログランキング・にほんブログ村へ
AD