3月も下旬となりまして、またまた年度末の到来であります。
今の勤め先は定年の歳を迎える年度末で退職という制度だものですから
(以前の勤め先ではまさに定年の歳になる誕生日で退職でした)
「これでおさらば」という方の出てくる時季でもあるという。
一昨年度には定年を機にこれまで行ったことのない外国へ旅行したいと言っていた元上司に
飛不動尊 の「航空安全御守」を贈り、昨年度には野山歩きが趣味の大先輩に
「どこへ行っても必ず帰る」という十番稲荷神社 の「カエル御守」を贈ったりと、
このところ御守手配が退職される方への吉例行事化しているものですから、
今年度もひとつ必要だなと虎ノ門金刀比羅宮へ行ってきたのでありますよ。
さてはてその方に似合いの御守をどこで授かったものか…と考えた結果なわけですが、
生まれ育ちが海のそばでお若い頃にはずいぶんとウィンドサーフィンでならしたと
以前聞いたことがあったものですから、もしかして暇が出来ると「かつての栄光再び」てな
思いに駆られることもあろうかと、それなら「水難除けだ!」と思った次第(笑)。
水だけに水天宮とも考えましたけれど、どうにも安産のイメージが強すぎるなということで、
こんぴらさんにしたのでありますよ。
向かい側は日本最初の超高層ビルといわれた霞が関ビルがあるエリア。
その霞が関ビルが最近は低く見えるくらい高層のビルが立ち並ぶようになってきてますので、
金刀比羅宮という看板こそ立派ながら、琴平タワーというビルの陰になってお社が見えてます。
ところでこんぴらさんと言えば、
清水次郎長 が森の石松 に代参させた讃岐のお宮が本家本元ですけれど、
こちらは讃岐丸亀藩の江戸屋敷に置かれた邸内社であったといいます。
元は万治三年(1660年)、当時は三田にあった藩邸にこんぴらさんを勧請したことに始まり、
延宝七年(1679年)藩邸の移転とともに虎ノ門に引っ越してきたのだそうな。
「こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、
大変賑わったといわれる」てなことが解説板に書かれてありましたですが、
これは大名家にとってが賽銭収入が期待されてもいたそうな。
何も丸亀藩に限った話ではなく、他にもいろいろと邸内社はあるのだそうで
当初行こうかと思った水天宮の方も元は久留米藩有馬家の邸内社で
同様な賑わいがあったと言います。
ところで、金刀比羅宮の賑わいの理由には確かな御利益(?)があったやもしれません。
神社の境内では「百度石」なるものをまま見かけますけれど、
ここでも鳥居のすぐ脇にありました。
基本的にはお百度を踏む際の折り返し地点なわけですが、ここの百度石には
元治元年(1864年)12月吉日として「大願成就」なったことが刻まれているという。
こんなこともあってか、大名屋敷は無くなっても神社の方は今に続いているのですなあ。
というところで肝心の御守ですけれど、願い事の種類に応じて各種取り揃えて?ありましたので、
「水難除けは?…」と聞いてみますと「これになりましょうか」と示されたのが「航海安全」の御守。
いかにも金刀比羅宮らしく「追い手に帆掛けてしゅらしゅしゅしゅ」という感じでありますけれど、
今回は船旅に出る方に渡すのではないものですから、どうしようかなあと。
結局のところはこんぴらさんの御利益として守ってもらえるのなら、この際何でも守ってもらおうと
汎用性のある(と思しき)白無垢に御神紋「丸金」の印入りをいただいて参りましたですよ。
これさえあれば「豊漁満帆 海陸安穏 福徳守護」何でもござれの御神徳に
肖ってもらえようというものです(笑)。


