この3月にもお世話になった元上司の定年退職にあたって、
飛不動尊 で授かってまいった「飛行護」を餞別代りにしたことがありました。


若い頃から仕事に邁進したが故に(?)外遊の機会が無かった方で、
悠々自適となった後には行き先としての目論見のひとつ、ふたつを伺っておりましたので、
そういうことなら「航空安全」に特化した御守りということで、飛不動尊に出掛けたわけです。


このほどまた、来年3月で定年となる方がどうやらちいとばかり早めに退職するという話が。
上司・部下という関係であったことはありませんけれど、職場の喫煙所で顔を合わせるたびに
「最近、何か見た?」と映画の話でひとしきり、日々の気分転換をさせていただいたという。


あれこれ話を聞いていますと、どうやら山野草に関する知識には並々ならぬものがあるようで、
季節ごとに「どこに行けば、何が咲いている」という情報もまた大変なもの。


それだけにたくさん野山歩きをされておられよう、退職後には尚のこと…と思ったものですから、
今回は「どこへ行っても無事カエル」という御守りがよかろうと、
麻布十番にある十番稲荷神社を訪ねたのでありました。


地下鉄・麻布十番駅の地上出口を出て、すぐお隣。
「えっ、ここ?」てな場所に十番稲荷神社はありました。
あたかもバージニア・リー・バートンの「ちいさいおうち」もかくや!と思われる
ビルとビルとに押しつぶされてしまうかのように鎮座ましましておられたのでありますよ。


十番稲荷神社


まあ、こうしたビルの谷間に肩を竦めるようにしている寺社は東京では珍しくありませんですが、
ついついこうした小さな境内は、小さいというだけで「さほどの由緒ということもないのだろう」的に
思ってしまっていたですが、十番稲荷神社の由緒を知るにつけ、そうそう決めつけてはいけんのだなと。


そもそもは御守りを授かる際に、
「ここはお稲荷さんなのですよね。きつねさんが見当たりませんが…」と尋ねたことに
「よく尋ねられるのですが、きつねさんは外からは見えない所にございます」と答えた宮司さんが
神社の由緒を記した案内を手渡してくれたことで、「ほぉ~」という由緒を知ることに。


元をたどれば、この十番稲荷神社、
互いに近くにあった竹長稲荷神社と末廣神社との合併によって誕生したそうな。


神社にもM&Aがあるのかと思いましたが、それぞれは戦災で焼け落ち、
再開発の中でひとまとまりの隣接地に再建されることになったのがやがて合併に至ったのだとか。

それにしても、あの小さな敷地に二社並立とは、当初はさぞや狭苦しかったことでしょう。


とまれ、その元々の竹長稲荷神社ですが、
こちらの創建は和銅五年(712年)とも弘仁十三年(822年)とも言われ、
つうことは何と奈良・平安の時代から続く長い歴史があるらしい。


また、末廣神社も慶長年間(1596~1615)の創建ということですから、
竹長稲荷神社に比べればさほどではないものの、徳川家康の入封前で
東京というより江戸がそれこそ狐や狸の棲みかだった頃からある神社なわけです。

確か近くに狸穴(まみあな)という地名もあったですね。


で、そうしたお稲荷さんと「無事カエル」御守りの関わりですが、
江戸期、文政四年(1821年)に江戸で大火事が起こった際に、
麻布にあった備中成羽領主山崎家の邸内にある池から大ガマが現れ、
水を吹きかけて火事を収めたとの言い伝えから起こっているようです。


これの御利益にあやかりたい人々が山崎家に御札を求めるようになり、
山崎家では「上」の一字を書いて御札としたことから「上の字様」と呼ばれるように。


上の字様


この「上の字様」の御札が前身である末廣神社に戦前まで伝えられ、
戦後になると大ガマに因んだ「カエルの御守り」として復活したそうなんですが、
「カエル」の語呂から旅行でも入院でも「無事カエル」てなふうにも受け止められて、
現在に至る…というお話。


十番稲荷神社の「かえる御守」


ですから、お稲荷さんながらキツネさんが見当たらない一方で、
鳥居のすぐ右側に「かえるさん石像」が置いてあるのですよね。


かえるさん石像@十番稲荷神社


一方、鳥居の反対側、左側には宝船の像がありますけれど、
かつて広重 作の宝船の絵が社宝として伝わっていたところから。


宝船像@十番稲荷神社


広重の絵は現存していないようですが、無いものねだりながら、
どんな絵だったのだろうと思いますですね。


と、ほとんど郷土史領域のお話ですが、こうした由緒に肖って
餞別とする「無事カエル」御守りはあらたかな霊験を示してくれることでありましょう。