「後で読もう…」と、先日の新潟出張の際に上越新幹線車中で見かけたJR東日本 の車内誌。
何事につけ「後で…しよう」と思うと、その「後で」が思い立った時期から
相当に時間を経過してしまいがちなタイプなのですけれど、今回はこれでも早い方かも。


ということで取り出だした「トランヴェール 」ですが、2月号の特集は「秋田」でありました。
TVなどでしきりに北海道新幹線開業のCMが流れているだけに、

「秋田なんだ…」と思いましたですが、秋田は秋田でもメインテーマは

どうやら「秋田美人」ということであるようす。


確かに「秋田美人」という言葉は耳にしますけれど、
記事の中ではデータに基づく傍証を試みていたりしたのでありますよ。


まず、秋田県というのは日の照っている時間が日本で一番少ないのだそうな。
日照が少ない=紫外線に曝されることが少ない、すなわち美肌である…てなことでしょうか。
さすれば、日本で一番の日照時間を誇る山梨県 はどうよ?といらぬ勘繰りも出ようかと。


とまれ、これに加えて秋田県は豪雪地帯であることが乾燥対策となり、
また雪ゆえに生ずる外出しにくさが肌を変化にさらさない元にもなるのだとか。
日本海側の例えば「新潟美人」てなことを聞く(秋田美人ほどは聞かないですが)のも
この辺に由来することなんでしょうかね。


そしてこれも日照の少なさと関わるやもしれませんが、

秋田県の人(男女限らずでしょうけれど)は日本で一番平均睡眠時間が長いそうな。

ちと古いデータながら2011年の調査では7時間56分ということで

「寝る子は育つ」ではありませんが、たっぷり寝ることの体への効用が活きているのかもです。


一方、も少し「美人」を意識した調査結果としては
化粧品会社が実施した「ニッポン美肌グランプリ2015」とやらで秋田県は
「毛穴が目立たないランキング」、「シミができにくいランキング」でともに第1位。

なるほど「秋田美人」なるものの像がほわんと浮かんでくるような。


ただ、こういう言い方もなんですが、美肌であること即ち美人であるとは言えないような。
いわゆる容姿といいますか、そうしたことがどうしても関係してきてしまうのではないかと。
この点、時代などによって「美人像」が異なるのは浮世絵などを見ても想像するところですが、
息長く「秋田美人」という言葉が生き残るのは、やはり何かがあるのでは。


このことに記事の中で触れているのが、脚本家・内館牧子さんのエッセイで、
要するに「秋田美人」なる確立したブランドを誇りに思う気持ち、
またそのブランドに恥じないようでありたいという気持ち、これが作用しているのではなかろうかと。


先に容姿ということを言いましたけれど、誰も彼もが女優のような顔かたちである必要はなく、
人間としての素敵さが滲み出しているような場合、もそっと簡単に言えば
自然に笑顔がこぼれだすような人柄である場合、その人は素敵な人(=美人)と言えましょう。


「秋田美人」に並べて「京美人」にも触れていましたですが、
こちらはブランド意識とプライドがない交ぜになって、「~したらあかんぇ」と言われて、
毅然とした美しさ、凛とした美しさを意識付けられてもいるのだそうな。


「なるほどね」と思うところながら、これをよおく考えてみますと

「美人とは思い込みでできるものなのだな…」と思ったりしますね。
一種の暗示になりましょうけれど、自己に肯定的であれば自ずと見られ方にも反映するような。


こうなってきますと、「美人かどうか」みたいなことは「生き方」に関わることであって、
女性、男性という性別に全く関係がないことになってくるものと思われます。


ちょいと前の「らららクラシック 」(ドヴォルザーク のスラブ舞曲を取り上げた回)では、
ゲストとして登場したマキタスポーツ曰く「こんなに禿げるはずではなかった…」と、
そんな容姿にコンプレックスを感じていたものの、「これも個性」と思い直したのだとか。


そう達観すると不思議なことに?その個性が存在感となって

ドラマなどで重宝されるようにもなっていったてなそうでありますよ。


いろいろな意味で自己に肯定的であることは、そう思うかどうかを考える性格も大きく関わって

難しいように思いますけれど、自分の個性は誰とも違うもので、

誰とも比較しようのないものだと思ってみれば、それはそれで

(秋田でも京都でもない)どこにいようと素敵な人たるのかもしれませんですなあ。



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