毎度のこと、TV番組は録画をしてあとからのんびり見るものですから、
リアルタイムでご覧になった方からすれば「何をいまさら…」的なところともなるわけでして、
今回もまたそんなひとつ。
本来は年明け早々1月3日に放送されましたので
新春ものを暦の上での春になって見る…みたいなことになってますが、
TBSの新春スペシャルドラマ「百年の計、我にあり」をようやっと見たのでありました。
知られざる明治産業維新リーダー伝と添えられていたのが、
果たして誰を取り上げているものか、それさえ知らずに見始めたところ、
「ほお~、そうなんだ!」ということに。
舞台となっている別子銅山は現在の愛媛県新居浜市にあって、
「東の足尾、西の別子」とも言われたらしい大銅山であるそうな。
足尾に比べてあまり知識がないのは関東の人間だからか、
果たして足尾のような鉱毒被害がなかったのか。
後者の関連は物語の中で多少詳らかになっていくのですけれど。
別子銅山は元禄期に、
以前から銅の商いなどもしていた住友家が幕府から許可を得て掘り進め、
幕末維新には幕府領接収という混乱の中でも住友が経営権を維持して、
その後に至るという具合。
この動乱期に別子銅山の支配人となっていたのが広瀬宰平という人でして、
本編の主人公のひとりであります。
銅山の丁稚から叩き上げて支配人へ、
そして住友家の初代総理事(住友家による経営の一切を委任される重責)へと
登り詰めるさまは正に立志伝中の人でありますなあ。
今でも財閥由来の企業グループとしてはすぐさまその名が浮かんでくる住友ではありますが、
海運の三菱
、呉服の三井
に比べて、その成り立ちの拠って立つところや
特定の人物もあまり知られることないような。
そんな中で今回のドラマは意外な人選といいますか、なるほど知られざるリーダーかなとも。
長らく銅山経営に携わってきた住友では「別子は住友の財本」とされており、
何をおいても守り育てていく事業であると考えられていたようですね。
別子育ちの広瀬宰平も当然にその意識は強いわけですが、他の番頭たちとの大きな違いは
別子の銅で住友が儲けるのはもちろんながらも、それを通じて国家の繁栄に資することを
念頭においていた。すなわち国家「百年の計、我にあり」というわけです。
フランスから鉱山技師ラロックを招き、
日本人技術者を育成すべくフランスの鉱山学校に私費留学生を送るなど、
別子の近代化に邁進していった広瀬ですけれど、住友総理事となって別子支配人を他に譲った頃、
銅山周辺の農民から農作物への煙害被害で住友は強く叩かれることに。
当の支配人は更迭されるも、後の引継ぎ手がいっかな現われない。
そりゃあ、わざわざ火中の栗を拾う役回りを引き受けようとする者もいないわけで…。
ところが、そこへ名乗りを上げたのが伊庭貞剛という人物。
広瀬宰平の甥にあたりますので、拝み倒してのことかと思ったりもしてしまいますが、
後に第二代の住友総理事となっていくとなれば血縁の情実ばかりではなく、
やっぱり「人物」だったのでしょう。
煙害対策として伊庭が打った手は、補償金の支払いでも土地の買収でもなく、
煙を出す元の精錬所を沖合いの無人島に移転させるという
非常にコストのかかるもの。
その時には引退していた広瀬がこれを知り「住友を潰す気か」と大反対するのですが、
元を断つ対策を施してこその「百年の計」と突っぱねる伊庭。ドラマですなあ。
結局のところ、無人島に移転させた精錬所からの煙は
反って海上に広く拡散してしまい、被害は拡大。
ですが、これに対しても最新式の機械を導入することで、
含まれる亜硫酸ガス濃度を最終的には0%にまで持っていくのですな。
伊庭の次世代にまで掛かる大事業となりましたけれど、企業の手をこれを成し遂げる。
また、広瀬が招いたお雇い外人ラロックが着任時に別子の山を見て、
廃墟だか墓場だかのようだと言ったことがドラマで紹介されていましたけれど、
足尾の山と同様にあたり一帯の木々は枯れ死して禿山の状態になっていたところを、
伊庭は山林の再生にも着手するのですね。
こうしたことはどれをとっても、足尾銅山とあまりに違う対処ぶりに驚くところですが、
何せドラマ、いいとこ取りかもといささか眉に唾して掛かるべきかとも思ったり。
されど、Wikipediaの記載とはいえ
「田中正造
も、伊庭の一連の行動を評価し、別子銅山を『我が国銅山の模範』と評した」とあっては、
彼我の歴然とした差はどうやらそのままに受止めていいのかもしれないと思いましたですよ。
そして、amazonの内容紹介に曰く「その英傑像を入念な取材と調査で浮彫りにする」という
「伊庭貞剛物語」なる書籍が、銅山地元の愛媛新聞社から刊行されていることも傍証になろうかと。
足尾も別子も、閉山は共に1973年。
それまで長らく国策としての必要性から銅の産出を続けてきたのは同じでしょうけれど、
2011年の東日本を揺るがした大地震後の渡良瀬川下流では
基準値を超える鉛が検出された(Wikipediaより)てな影響が今でも残る中で、
別子の山は緑を蘇らせて静かに佇んでいる。
「百年の計」の気概ありやなしやの違いは余りにも大きかったということでありましょうか…。