トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」 には、
最後の方の一章ほとんどまるまるが学校での授業風景に当てられているところがあるのですね。


結果的に若死することになって、ブッデンブローク家の断絶を招いてしまうヨハンは
とにかく学校嫌いであって、授業がどんなに詰らないものであるかを延々描き出すといった感じ。


トーマス・マン自身、繰り返し落第するくらいですから、
当然に授業を面白いとは思っていたはずもなく、

おそらくは自身の思い出を含めてここぞとばかりに
書き連ねた…とまあ、そんな感じがしたものです。


そんな授業風景を彷彿させるなぁと思いましたのが、
ドイツ映画「コッホ先生と僕らの革命」を見ていてのことであります。


コッホ先生と僕らの革命 [DVD]/ダニエル・ブリュール,ブルクハルト・クラウスナー,ユストゥス・フォン・ドーナニー


授業中もなにも教師の言うことには絶対服従。
従わなければ体罰、たび重なれば当然に退学てな具合。


とりわけ印象的なのが体育の授業でありまして、
とにもかくにも頑健な肉体を作ることをひたすらに追求しているという。
具体的には体育館(らしきところ)の天井からぶら下がったロープをとにかく力任せに上るとか、
もそっと動きがあるものでも、軍隊の行進のようなもの。「右向け、右!」みたいな。


映画の背景となる時代と場所は1874年のブラウンシュヴァイクとなれば、
年代的にも、またリューベックから程遠からぬところとだけに「ブッデンブローク家…」の描写と
繋がりを感じるのも、まあ当然と言えましょうか。


映画としては、そうした時と場所の学校に

初めての英語教師としてコッホ先生が着任するところから始まります。

(そういえば「ブッデンブローク」の中でも英語教師は試験的な雇用だったような)


ドイツにとって海の向こうのお隣さんの言葉を学ぶという意味合いなのかもですが、
世界じゅうに植民地 を広げる大英帝国 に対して、1871年に帝国が成立したばかりのドイツでは
どうも一般的には英国に対する敵愾心をむき出ししていたところがあり、
とにかく「ドイツが一番」みたいな思想を学校教師が吹き込む風潮でもあったようです。


先にも触れたとおりに教師には絶対服従ですから、
そうした思潮がどんどん生徒に塗り込められていくわけですが、
「ドイツが一番」みたいなことを教える教師に対して、
「コッホ先生は違うことを言ってました!」みたいな生徒が出て来るとなると、
着任早々から反感を買いまくるコッホ先生ということに。


そうはいっても、生徒の方も全くと言っていいほど英語には興味を示すことがなく、
考えあぐねたコッホ先生、イングランド留学時に親しんだサッカーを

英語で教えることを始めたのですね。


子供としては肉体強化だけの体育が詰らないこともあり、
ボールを使って点を取りあうゲーム性を備えたサッカーにはたちどころに入れあげ、
サッカーやりたさに英語を覚えるというか、サッカーのやり方を教えてもらっていたら、
いつのまにか英語ができるようになっていました…的な展開。


コッホがドイツ帝国の反動分子にしか見えない周囲の教師や保護者たちは、
何とかしてコッホを子供たちから切り離し、解任させようとするも、
それまでドイツではあまり知られていなかったサッカーが実はこれまでの体育とは違う形で
有用であることを、国に判断をしてもらおうと子供たちは画策するという。


いざコッホ解任という段になって、
やおら留学時代の友人がイングランドの子どもたちを引き連れて試合をしようとやってくる。
同時に、子供達の画策を学校が判断を仰いできたものと考えた国の視察団もやってくる。
となると、当然に試合を、サッカーをさせないわけにはいかなくなるわけですね。


こうした経緯を踏まえて「コッホ先生と僕らの革命」(革命とは大げさですが)という
邦題がついたものと想像しますけれど、ドイツ語の原題は「Der ganz große Traum」というもの。


「とても大きな夢」というか「まったくもって大きな夢」というか、

そんなふうな意味合いでしょうけれど、
今やサッカー大国となったドイツにサッカーが根付く元々のところのお話。


FIFAワールドカップでドイツ(当時は西ドイツ)が優勝するのが1974年、
まさにコッホ着任から100年後に花開くことになる壮大な夢はこうして始まったのでありますね。
(基本的に史実をベースにコッホ先生の経歴あたりに脚色があるようではありますが)