ハンブルク市庁舎 のあたりをふらふらしておりましたのは17時過ぎくらいでしたが、
一向に暮れてくる気配もなし、晩飯には早いしと思っておりますと、
すぐ脇にかような幟旗の立った建物を発見したのですね。


ブツェリウス芸術フォーラム


見れば「BUCERIUS KUNST FORUM」とある。
「KUNST」というからには、何らか芸術関係の場所であろうと近づいて行きますと、
果たしてキルヒナーの版画展をやっており、19時まで開いていることが判明。
これは晩飯までのつなぎに丁度いいと入り込んだのでありました。
(ちなみに「ブツェリウス芸術フォーラム」との呼び方はドイツ観光局の記載から)


キルヒナー版画展@ブツェリウス芸術フォーラム


版画という、さほど大きくない作品の展示であったためか、会場内には思った以上の点数があり、
経年的な画風の変化を見て行けるところがありましたですね。


キルヒナーらしいと言えば、やはり後年の尖った描きようですけれど、これは版画でも同様。
ですが、これまたやはり最初からそうだったわけではありませんですね。
例えば、これはドレスデンの風景を描いた1905年のもの。
キルヒナーが20代半ばの頃の作品です。


キルヒナー「Augustbrücke mit Frauenkirche,Dresden」


一見したところ、実に素直に風景を描いていて、
「やっぱり若い頃にはこうした穏やかなのも…」と思ってしまうところです。


されど、これが1905年にドレスデンで、しかも中心に据えられたのが「橋」であることからすると、
もそっと深読みしておかねばならんのでしょうね。

何しろ同年で同所でキルヒナーらは若手画家のグループ「ブリュッケ」(Die Brücke、橋の意)を
立ち上げたわけですから。


その後ベルリンに移り、「青騎士」のグループ展に出品したりしていたですが、
こちらはその頃、1912年の浴婦を描いた作品であります。


キルヒナー「Badende Frauen zwischen Weissen Steinen,Fehmarn」


色彩鮮やかな作品であったならば、さらに想像しやすいように思いますが、
まだ作品タイトルが具体的だった頃のカンディンスキーを思い出させる

素朴な味わいがあるような。


まあ、これもキルヒナーが「青騎士」展に関わったてな話を聞き知ったが故かも。
ただ、この場の作品に限らず、そうした印象は拭えぬとなれば、

やはり関連性を考えてしまうところです。


キルヒナー「Badende am see」


そして、時代は下って1930年、やはり浴婦の図ですけれど、
色の少ない版画作品ではこのようにシンプルな明確な線で描かれるようになってますですね。

が、油彩の色遣いでは際立つ個性を放っていたように思われます。
ナチスから頽廃芸術としてやり玉に挙げられるのは、程なく1933年のことでありますよ。


というところで、キルヒナーと言えば、ですが、
先にシュヴェリンの美術館 を訪ねた時にも特別展で取り上げられていて、
その様子は後で見ることになるキルヒナーを書くときに併せて…と予告しておりましたので、
改めてシュヴェリンで見た展覧会の方にも少々触れておこうかと。


キルヒナー展@シュヴェリン美術館


キルヒナーとその影響を受けた(あるいは相互に影響しあった)Jan Wiegersとの二人展。
(Wiegersは、オランダ語の適切な読み方が不詳でして、悪しからず)
どの程度の関係にあったかは、上の展覧会リーフレットをご覧の通りでありまして、
右と左の絵、二人がそれぞれに描いた相手の肖像ですけれど、

どちらがどちらの作か分かりましょうか。


てっきり左側がキルヒナーだと思ったところが、実は反対。
1920年頃にスイスのダヴォスで知り合ってからは意気投合となったらしく、
オランダ出身のWiegersはハーグ派 風の絵(光を意識した風景画?)を描いていたようですが、
キルヒナーとの邂逅以来、すっかり表現主義的になってしまったような。
上の肖像画はいずれも1925年の作です。


精神状態の不安定さがそのまま絵に現れている感のあるキルヒナー作品にあって、
ダヴォスという保養地で、しかもWiegersという友人がいるという環境は

キルヒナーも心穏やかに過ごせるひとときであったのか、
そのダヴォス時代の絵にはほのぼの感を抱かせるものもありますですよ。


キルヒナー「Wildboden in the snow」(部分)


という具合に、キルヒナーというと

ベーンハウス で見た「いかにも」な作品をイメージするところながら、
あれこれ見てみれば、あれこれあるということが分かった展覧会ふたつでありました。