シュヴェリン城 の目の前には実に背の高いモニュメントが置かれていますけれど、
見たところ第一次大戦の戦没者のためのものであったような(よく覚えてなくて…)。


シュヴェリン城前のモニュメント


ただドイツの中では、第二次大戦がナチス の記憶と結びつくせいか、
およそ取り上げないものの(といって、全く無いわけでありませんが)、
第一次大戦の悲惨さを語り継ぐものは結構見かけるような。


考えてみれば、各国がせめぎ合って戦争を繰り返したきたのがヨーロッパではありましたけれど、
それが第一次大戦になって近代化した兵器がそれまでの戦争とは全く違う

壊滅的なダメージをもたらすことになり、繰り返すまじの思いが強いのかもしれませんですね。


それはともかく、そのモニュメントに向かって立っているのが、こちらの建物。
シュヴェリンの美術館であります。


Staatliches Museum Schwerin


本来は正面の階段を上ってアプローチするところでしょうけれど、
正面一帯が工事中でありまして、正面向かって右手に回り込んだ階段下が入口となってましたですよ。


ところで、タイトルにシュヴェリン美術館といい、今しがたもシュヴェリンの美術館と言いましたが、
正式名称は「Staatliches Museum」で、これの訳語として「州立美術館」とも「国立美術館」とも
使われているケースがあるのですね。


ドイツ語の「Staat」は英語の「state」に当たりましょうから「国立」と言えるかもですし、
一方で「united nations」での「国」は「nation」であって、「state」はむしろ
「unitede states」のようにアメリカ合衆国 の「州」に該当するものと考えると「州立」とも言える。
ですが、ドイツ語での「州」に当たる用語は「Land」を使っているので、本当に「州立」なの?とも。


だもんですから、ここでは深入りを避けてシュヴェリン美術館と言ってしまいますが、
「え?シュヴェリンに新しい美術館ができたの?」てな誤解がないように
シュヴェリンにある「Staatliches Museum」の話ですよとはお断りしておかねばと。


ということで美術館でありますが、
ここは17世紀ネーデルラント(フランドルを含む)の絵画コレクションで知る人ぞ知る存在だとか。


何でもメクレンブルク・シュヴェリン公(大公と呼ばれるようになる前)であった
クリスティアン・ルートヴィヒ2世(1683~1756)が美術好きであったようで、
息子のフリードリヒをヨーロッパ中、使いっぱに出して集めたものが元になっているのだそうな。


必ずしも大金持ちというまでではなかった公爵家としては、
使いぱしりとはいえ場数を踏んで見る目を養った息子が買い集めてくる上品(最上ではなくとも)の数々に
目を細めていたのではないかと思いますですね。


で、その作品はと言いますと、なるほど超有名作はないものの、かなり名品ぞろいであるような。
例えばネーデルラント絵画といえばひとつ、静物画があげられますけれど、

ウィレム・カルフの作品。

元々「静物画?何なの?」と思っていたのが、

カルフの絵で「すげえな!静物画!」なった口ですので、ここでもついつい注目を。



ウィレム・カルフ「Vessels and fruits with porcelain bowl」(図録より)


この「Vessels and fruits with porcelain bowl」(1663)あたりを見ますと、
金属やガラスの質感の伝わってきかたにカルフの抜きんでた技量が窺えようというもの。
剥いて時間の経ったオレンジが見せる微妙な色合いも、

その美しくなさも含めて見事ではなかろうかと。


ヘンドリク・ファン・アーフェルカンプ「Winter landscape」(図録より)


一方、風俗画ではヘンドリク・ファン・アーフェルカンプの「Winter landscape」(1610)が楽しい一枚。
ブリューゲルの衣鉢を継ぐかと思われる集団を描いた部分部分を見れば、
寒い国ならではに凍りついた川(たぶん)の上でそれぞれに楽しんでようすが伝わります。
オランダ発祥と言われるアイススケートを、大人も子供もやっていますね。


また、画像はありませんが、ヤーコプ・ファン・ロイスダールの「Rest in front of Inn」からは
今も変わらぬ風景があるんだろうなぁとしみじみ思ったりしますし、
ヘーラルト・ダウの「The dentist」からは今も昔も変わらぬ歯医者の苦痛が
庶民の生の姿を伝えてくれるようです(直近の経験からもそう思う…)。


ところで、ジャン・バティスト・ウードリーの「Dead crane」(1745)ですけれど、
パッと見で申し訳ないながら、狩野派 の絵師がたびたび描いた鶴の図像に似ているなぁと。


ジャン・バティスト・ウードリー「Dead crane」(図録より) 狩野探幽「飛鶴図」(部分)


いろんな動物を描いたウードリーにすれば、
異国からもたらされてヴンダーカンマーを飾るような、

珍しい動物の剥製などには目が無かったかも。


そうした繋がりで異国の文物を見かける機会があったすれば、
もしかして狩野派が描いた鶴の図像を見ていたかもしれませんですよねえ。

(とは妄想ですが…、何しろ死んでるのと飛んでるのでは…)。


とまあ、こうした古典絵画がずらり並ぶ中に、

時折何の前ぶれもなく近現代の絵画が収まっているのですね。
そうしたものの中でひと際目を惹いたのが、

フランツ・フォン・シュトゥックの「ユディトとホロフェルネス」です。


フランツ・フォン・シュトゥック「ユディトとホロフェルネス」(図録より)


これがちと薄暗い小さく区切ったブースの奥にあるんですわ。
するとですね、ユディトの白い肌がぼや~と浮き上がるわけですね。怖いわ~。


「頽廃的」と言われればその通りでもありますが、
「頽廃」がともすると「死」のイメージを喚起するとして、この絵が生きてますね。
それだけに怖いです(と、結局そこに返る)。


こうした常設展示に加えて、特別展ではキルヒナーを取り上げていました。
けれど、すでに長くなってるのがさらに長くなってしまうので、
後にハンブルクでも見る機会のあったキルヒナーはそちらでまとめて書くことにいたしましょう。


かようにシュヴェリンの美術館には出向くだけの価値はあろうと思うわけですが、

ひとつだけ難を。

展示室によっては大きなホールの壁面に三段重ね、四段重ねで展示されているのですね。

同様に展示される様子を描いた絵画というのもありますから、

旧来からそういう掛け方があったとは思いますが、
美術館ではかなり少なくなってきているのではなかろうかと。


いくら北方ゲルマン、ノルマンの長身をもってしても、
これらの作品をつぶさに見てとるのは無理だと思いますですよ。