歴史を知るということは、
ともすると過去に対する持っていた漠然とした印象を拭い去ることにもなりますですね。
「古き良き時代」といった表現がありますけれど、
そうしたことがあたかも虚飾であったのかと愕然とするようなことにもなりかねない。
となれば、虚飾は虚飾のままで当たらず障らずいられたらよかった…
と思ったりするかもですが、ともすると新たに知ったこともやはり一面であって、
そうではない面も同時並行的にあった(のかも)ということを
すっかり排除してはならないようにも思われます。
中島京子さんの「小さいおうち」では
(映画より小説での方が印象が強かったので、映画のとは言いませんが)
おばあちゃんの昔語りに出てくる「今日は帝劇、明日は三越」的な回想に対して、
若い者からすれば「戦時中にそれはないでしょ」と決めつける場面がありましたけれど、
ある時代をひとつの型の中に押し込めてしまうとすれば、
誤りのもとのようにも思われるわけです。
と、やおら重苦しく始めましたですが、「古き良き時代」といったときに、
ひところのアメリカがそんなふうなイメージと結びつく気がしたりもしていたですが、
どうやらそうでない面に関わるもの(金めっきの時代
の話とか)に、
たまたまこのところ接する機会が多かったためか、
かなり揺らいでいたような気がしていたのですね。
ですが、結局のところ、そうしたこともまた一面であって、
「別の一面があったということを忘れかけてたね、君は(って、自分のことですが)」と思ったという。
たまたま新宿で足を運んだ京王プラザホテルのロビーで見かけた展示によってであります。
題して「MOTION DISPLAY 愛と夢の世界」というものでありました。
「モーション・ディスプレイ」とは、拙くも直訳すれば
「動く展示物、動く飾り付け」みたいな意になってしまいますけれど、
展示コーナーに置かれていた同ホテルの館内案内誌によりますと、こんなふうになります。
ジャズや映画などアメリカ的な文化が華やかに開花し、黄金の時代と呼ばれる1920年代~50年代にかけてニューヨークの宝飾店のショーウィンドウを飾った電気仕掛けのディスプレイ・アート。
先ほど言った「古き良き時代」と呼応するものと思いますが、
ここでは「黄金の時代」という言葉が使われてますですね。
アメリカの高度成長期てなふうにもいえましょうか、ひとつ象徴的なことを挙げるとすれば、
エンパイア・ステート・ビル の建設が1929~31年ですし。
で、繰り返しになりますが、この行け行けどんどん的な時代背景の裏側では
労働者は過酷な環境に置かれ、搾取が横行し…といったことが
確かにあったことも忘れてはいけんものの、だからといって
「暗い時代だったんだ」と言い切ってしまっていいものでもない。
まさにエンパイア・ステート・ビルの建設でくったくたになるまで働いた帰り途、
とてもとても買えるだけの賃金ではない商品を扱う店の前を通りかかると、
明るく照らされたショーウィンドウの中にモーションディスプレイを見かけて、
自らの希望ある未来を想像した人たちがいたのかもしれません。
そんなふうに考えて見てしまうと、モーションディスプレイとして作られる題材も
何やら意識的な気がしてきてしまいそうでありますね。
例えば、結婚や家族をテーマにしたと思われる作品が並んでいたりすると、
当時のひとり者の労働者なら、我が家の将来を夢想することにもなりましょうし。
中でもこの「スクーターハネムーン」という作品などは、
決して立派な車でなどと背伸びするわけでなく、
スクーターで花嫁と水入らずのハネムーンに出掛ける姿は労働者にとっても、
ついつい近未来の我が事と思い描いてしまうところではないかと。
後部席でしっかりしがみ付いた新婦が新郎の顔を覗きこんでいる様子も
「おれもなぁ、かわいい嫁さん、見つけよう。しっかり稼いでから」と思いを助長させるに十分です。
また、別のコーナーにあった機関車の作品などは、
大陸横断鉄道(実際にはもっと巨大な機関車が驀進したものと思いますが)によって
東から西まで繋がった広大なアメリカ大陸を巡る旅情を駆り立てたりもしたかも。
「いつか、いろんなところを見て回りたいもんだなあ」と。
時代が時代だけにネリー・ブライにように世界一周 まで夢見たかもしれませんですね。
いろいろと夢想しているわけですが、
落ち着いて考えてみるとこれらのディスプレイが電気仕掛けで動くったって、
せいぜい首が振れたり、車輪が動いたりという程度のもの。
動きの精巧さ、リアルさなどの点から言えば、今ならよほど進化したおもちゃだってありそうです。
が、そうした精巧さ、リアルさを実現したものが同じような夢想を招くかどうかと思うと、
疑問符がつくように思いますですね。
決して豊かでもなく、余裕も何もないけれど、思う存分に夢を描ける時代であったとすれば
やはり「古き良き時代」と呼んでいいのかもしれない(もちろん時代の一面とは承知の上で)。
日常を悟って夢を描くなど現実的でないとしか考えられない時代と、
(全ての要素を並べて比較はできないものの)果たしてどちらがいいかな…とは考えてしまう、
そんなモーション・ディスプレイ展との遭遇でありました。